溺れる魚


 
 俺が銀時を見なくなったのはいつだろうか。正確には見かける頻度が減っただけ
なのだが前は俺がわざわざ会いに行かなくても何時もの見回りのコースには必ずあ
いつがいたからとても妙な気分だった。長期の仕事が入ったのか何かの調査をして
いるのか攘夷の連中とつるんでいやがるのか雑踏の中にあの銀髪が見つからない。
なんせ派手だし歩き方はだらだらしてるし遠目に見たってすぐにわかるしなにより
あいつから何時も大声で叫びながら寄ってくるのだから迷惑にすら感じていたのだ
が、いざ見かけなくなると気付けば必死になって人混みを見つめている俺がいて嫌
な気分だった。山崎や沖田と組むときには注意していないと旦那を捜しているんで
すかィだとか最近旦那とあまり会いませんねだとか言いやがるから全く腹が立って
仕方がない。最近では奴らがにやにや笑ったりいわゆる心配そうな顔をして俺を見
るたびにうんざりするのでさっさと歩くか相方を変えるかしていたのだがどうやら
それも無駄なようで終いには近藤さんにもお前大丈夫かなんて訊かれる始末だ。ど
うしようもない。屯所で書類と格闘していても見回りをしていても取締りをしてい
ても稽古をしていても鬱陶しいほど纏わりついてきたのだがそれがないとどうも体
がすかすかしてしょうがないのであーこれはもう俺も終わったなと諦めて幾度か会
いに行こうとはしたのだが間の悪いことにそういうときに限ってあいつは留守とき
ている。けしからんことはなはだしい。万事屋ってのは暇なんじゃなかったのか。
そしてさらに間の悪いことにここのところやたらテロを起こす馬鹿でアホでどうし
ようもないクソどもが大量に発生している上に脳みそがタルタルソース状どころか
腐って耳から全部流れてんじゃネェのと思うクソ上司どもがこっちが寝る間を惜し
んで働いてるのをちくちく圧迫してきやがるものだから百回くらいは殺してやりた
いところをこらえて半ばやけくそのように働く羽目になってしまって、つまりはこ
の一月ほど休暇どころか半ドンもない状態が続いている。これだからたまったもん
じゃない、と、その鬱憤を全て判子に込めて必要以上に強く捺したらその拍子に机
の隅に置いてあった硯が落ちて畳の上に黒をはき散らかした。あーもう勘弁しろよ
めんどくせーよ。俺はそこまでげんかつぎにこだわるほうじゃないが滅入ってると
きに滅入ってることが重なって妙に暗澹たる気分になってしまって全部それを銀時
の野郎のせいにしてとりあえず、その思考から逃れるために今日中に処理しなくて
はならない書類に向かった。

 「お前今日は休め」「は?」翌朝起きて着替えをしている最中に髭ゴリラもとい
近藤さんがやってきて今日は雨でもなく晴れでもなく微妙な天気ですねという話を
していたはずなのに何の脈絡もなく休めなどといわれて思わず聞き返してしまった。
「は?は?ってトシ、お前俺たちの数倍働いてるのに休みを全然とってないだろう、
明日も開けておくから3日間は休みなさい」本当に何の脈絡もなくそんな話をされ
ても実は適当に処理してしまった書類のこととか山崎の偽造サインがばれたとかえ
?これって処分?俺処分受けてんの?とかそんなことくらいしか思わないあたり仕
事中毒だなと自分でも思う。まあ近藤さんに限ってそんなことはないだろうけど。
シャツを半分とめかけのまま固まって何の反応も返せない俺を見て、「別に処分と
かじゃなくてだな、お前、痩せたろ?え、ひょっとして気づいてない?」などとマ
ジで心配そうな顔をさせてしまった。そういえば最近ベルトがゆるいと思ったらど
うやら見た目でわかるほどに窶れていたらしい。そういえば前までは銀時がうるさ
いくらいに纏わりついて抱きついてちょっとした体調の変化すらわかってくれてい
たのだなと思考が横にそれたとたん昨日の憂鬱がよみがえってきた。本気で気分が
悪くなってきたのでありがたく休みは頂戴することにしたものの、結局思いつくの
は大人しく寝ることではなく万事屋しかないあたりちょっと鬱、いやかなり鬱であ
る。とはいえストレートに奴のところに行ったとして今の状況では素直に招き入れ
てくれるかかなり疑問である。俺は仕事のせいもあってまめに合う時間も作れなか
ったし正直奴の立場はグレーだしそれでいいのかと思うこともしょっちゅうだった
し俺も奴も真正のゲイではないしそれでよく付き合ってるなと思うことも俺自身た
くさんあったしでこれは自然消滅のパターンかなと思って本気で落ち込んだ。とり
あえずいきなりではあるが休暇ってことで着流しに着替えてみるが帯を締める手が
おぼつかない。どれだけあいつが俺の中に侵食しているかが如実に現れて悔しくも
あるが奴が本気で終わらせるつもりならば俺はそれに対抗できる手段が何一つない
こともわかっているので本当にどうしようもない。これで終わってしまうのだろう
か。余計なことを考えながらも足は勝手にふらふらと屯所の出口に向かっている。
隊士の何人かに声をかけられた気もするがその顔もおぼろげだ。大分キている。自
覚はあるものの俺一人が悩んだところで何の解決にもならなくてそのまま万事屋へ
の道へ向かう。
 道すがらあいつがよくいる、正確にはよくいた甘味屋を覗いてみたりコンビニの
雑誌コーナーに目をやったりしながらよく奢らされたことやツケを押し付けられた
ことや正直あまりいい思い出ではないことを思い出しながらも必死に探しているこ
とを自嘲した。団子屋であいつ用のみたらしと俺でも食えるあんこの入ってない餅
をいくつか買って、ついでにコンビニで煙草を買うがそこにも奴はいない。ありが
とうございましたーって間延びしたやる気のない店員の声に苛ついた。本当に一体
どうしてしまったのだろう。どうしてしまったどころではなく飽きられる要因だけ
が多すぎて特定できない。何でこんなに必死になって男と付き合ってんだか俺で俺
がわからないとまあ笑おうとしたが今度は苦笑にもならずに頭のどこかに靄がかか
った。やばい泣きそうだ。同じことを何度も考えては落ち込んでいくループ、では
なく何だっけ、そうだスパイラルにはまり込んでいる。
 おにいさんあそんでかない、いまならきゃんぺーんちゅうだよ、かわいいこもた
くさんいるよ、しつこい客引きの手を振り払ったらどかーんとか派手な音がしてど
うやら吹っ飛んだらしい。てめーふざけんなとかいって逆ギレされたがひと睨みす
ると大人しくなったのが何だかむなしい。八つ当たりもできない。腹ん中にたまっ
ていく重たいものを吐き出しように溜息をつくがちっとも楽にはならない。人口密
集地帯を抜けて自然下向きになってしまう視線を無理やり上げるとそこはもう万事
屋の前だった。

 鉛でも仕込んであるみたいに階段を上る足が自然と重くなる。錆びてぼろぼろに
なった階段があいつとの関係みたいで気持ちが悪い。丸一ヶ月じゃ何にも変わって
いないだろうにそういった今まで気づかなかったところにばかり目が行ってしまう。
まだ昼だから仕方ないのかもしれないがどの部屋にも明かりがついていない。留守
かとも思う。しかしここで帰っては意味がないのでベルを鳴らしてみる。物音。変
わらないやる気のなさそうな足音が近づいてくる。はいはーい、新聞ならもっと金
のありそうな奴のところにいってくれや、一月前と変わりないやっぱり気の抜けた
声とともに引き戸が開いた。ああ、銀時だ。急に気が緩んで安堵の息が漏れたがそ
れもつかの間、やっぱり様子がおかしい事に気づいてしまった。奴は一瞬も表情を
変えずに「ああおーぐしくんか、入ったら」と言うとそのまま中に引っ込んでしま
ったのだ。
 おーぐしくんかじゃねぇだろ。そんな無表情で俺を迎えたことなんて一度もなか
っただろ。何時も死んだような目をしていたって俺が玄関に立ったときには隠しき
れていない感情が声に、しぐさに、過剰なまでの接触に現れていただろ。
 呆然としたまま奴の後ろについて入るとやっぱり一ヶ月前とそう変わらない雑然
とした部屋だった。チャイナ娘と眼鏡小僧は出かけているらしくどこにも気配がな
い。銀時は何をするかと思えば菓子の包みにはしゃぐこともなく俺に座るよう勧め
るでもなくまっすぐソファに座るとついたままだったらしいテレビを見始めた。昼
間なんて面白い番組など何一つないと思うのに相変わらずボーっとした目で画面を
見つめている。持ったままだった団子の袋を机の上に投げ出すように置くとちらり
と目線は動かすもののよほど夢中なのか再びテレビに見入ってしまう。どうしてい
いのかわからなくてとりあえず行き場もなく奴の隣に腰掛けた。そのままさっき買
ったばかりの煙草に火をつける。付き合い始めたころに買った灰皿はまだ机の上に
あってそれに少しだけ安堵した。
 さっこんのわかものにはやはりおやのあいじょうというものがたりていないんで
すね、あいじょうにうえているんですよ、わかものがきょうこうにはしるけいこう
にあるのはこじんのびょうりというよりはしゃかいそのもののこうぞうのけっかん
というべきでしょう、外が曇のせいでぼんやりと薄明るいだけの部屋の中で馬鹿み
たいな批評を繰り返す脂ぎって気持ちの悪いオヤジが意味のない批評をする声ばか
りが響いている。馬鹿みたいな茶番番組は豚になった気分になるので見る気もせず
にもくもくと煙草をふかす。帰ればいいのにそれができない俺は何かを期待してそ
のままそこに居続けることしかできない。暇だ。暇ではあるがかまってなんていえ
るほど俺は女々しくも素直でもない。ことことと音がして振り向くと火にかけたま
まの薬缶が湯を噴出してその温度を知らせていた。銀時は動く気配がない。逃げ出
すようにして台所で茶を入れる準備をする。急須と茶葉と銀時の湯飲みといつの間
にか増えた俺の分の湯飲みを出して一度薬缶の火を止めた。振り返ってみても奴は
やっぱり俺がいることも忘れたようにテレビを見続けている。なあ気づいてるか。
何がどこにあるのか、どれがお前のものなのか把握していることを。覚えこまされ
たせいもあるが無数ともいえるお前好みの甘味屋がどこにあってどれだけの値段な
のか知ってることを。俺が来たときの些細な表情の変化にも気づいていることを。
お前が過去、俺のことをどれだけ好きだったかわかっていることを。

 そして、俺が今、どれだけお前のことを愛しているかを。

 背中合わせのまま黙っていては何一つ伝わらない。