続 溺れる魚


 準備のできた急須に丁度いい温度のお湯を注ぐ。こここここぷちぷちぷちという
音とともに湯を吸い込んで茶葉が広がる。そういえば道場にいるころは俺がよくお
茶を淹れていたことを思い出した。たまに失敗して苦くなってしまっても近藤さん
や当時の客は笑って飲んでくれていて、お茶一杯でこんなにやさしい空気に包まれ
るものなのだと驚いたこともあった。決していい葉であるはずはないし江戸の水は
不味いが空気をやさしく染めるかおりがする。昔取った杵柄というやつで今では俺
が茶を淹れることなんて数えるくらいしかないがそこそこいい感じである。この部
屋のこもってよどんでとまってしまった空気全てを変える香りだ、と思いたい。
 二人分を湯飲みに注いで居間に戻る。どうしても今団子を食いたいわけではない
がそうしないと間が持たないからだ。万事屋に着てから銀時と交わした言葉はお前
か、入れよだけだ。そんなことに愕然とするとは今更、本当に今更だが俺の銀時に
対する想いは冷めていないことを思い知らされる。お茶を一口すすってから気づい
た。さっきまで袋に入ったままだったはずの甘味が既に机の上に広げられている。
こいつはこんなときでも食い意地だけは張っているらしい。団子が無駄にならなか
っただけでも嬉しく思う俺はそれだけでやっぱり終わっていると思う。銀時の目は
相変わらず画面に釘付けだ。諦めて店の主人に無理言って作ってもらっている餡子
の入っていない草餅をほおばる。時間が経っているはずなのに餅は柔らかく絶妙な
甘みと蓬の香りが口中に広がる。菓子がうまいものだと銀時がいなければ気づくこ
とはなかった。今まで付き合ったどんな女も俺の趣向を変えることはできなかった
のにこの男はそれを軽々やってのけた。それは悔しくもあるが妙にこそばゆい気持
ちのほうが大きい、普段なら。しかし今この状況ではただ寂しさを募らせる要因に
しかならない。惨めだ。
 と、隣から手が伸ばされた。それは机の上の食料をとるためかと思ったがそのま
ま素通りして俺の体に回される。俺との距離が少しばかり離れていたせいで体が傾
いで気づけばやつの胸に頭を抱きこまれる状態で抱きしめられている。懐かしい、
懐かしいと思えるほど久しぶりの銀時の体温、俺とは違うその臭い。「やせたな、
お前」なんかすげーほねっぽいんですけどとそのまま続けられる。「やめろよ」身
をよじってみてもその腕を振り切ることはできなかった。本気で嫌がれば離してく
れるだろうが抱きしめられるのが心地よいと感じてしまう俺がいてずいぶん女々し
くなってしまったものだなと自分に呆れた。頭を抱えるように抱きつかれながら、
こいつは一体何なんだろうと思う。さっきまで、俺のほうを見ることすらしなかっ
たくせに。なにもかも今更なのだ。今更こんなことをしてなんになるというのだ。
訳のわからないこいつの行動に呆れ腸が煮えくり返るほどの怒りが沸いてくるのに
妙に安堵してしまって鼻腔の奥がつんと熱くなってしまう。「離せって」「土方君
はご機嫌斜めですねー」「うるせぇ馬鹿離しやがれイテェんだよ」「へいへい」二
度目に文句を言うと今度はあっさりと身を引かれて自分で望んだことのはずなのに
離れていく体温を惜しく思った。顔を上げるとニヤニヤ嫌な顔をしていると思えば
見上げる顔は優しく笑っている。訳がわからなくてそのまま体を離してそっぽを向
いた。顔が熱い。「何で背中向けるんだよ」「うっせぇ何でもいいだろ」誰のせい
だ、誰の。さっきまで無視していたくせにさっきまで何も言わなかったくせにそん
な風に優しくされても、困る。こっちは諦めなければならないとすら思っていたの
に人の気持ちを簡単に浮上させやがって。期待してしまうじゃないか。それじゃあ
何より俺がいたたまれない。
 無理やり動悸を落ち着かせて着信のサインを発している携帯を取り出して画面を
見る。誰かからメールが来ていた。山崎か沖田か近藤さんか松平のオッサンかだれ
でもいい。だれか俺を何とかしてくれ。メールボックスを開けて中身を見ようとす
ると後ろから手が伸びて俺の携帯を取り上げると向かい側のソファに向けて放り投
げた。勢いがつきすぎたのか一回はねてそのままごとりと音を立てて床に落ちる。
「なにしやがる!」かっと頭に血が上って怒鳴って振り返るが銀時は平然とした顔
をしている。重要な仕事の知らせかもしれないし誰かのミスかもしれないし事件が
おきたのかもしれないし何よりこの場から逃げる一番の口実になるというのに。そ
のまま文句を継ごうとするがさっきよりも距離が近くなって思い切り抱きしめられ
た。暖かい。そのままゆっくりと背中を撫でられて混乱する。こいつは一体何がし
たいんだ意味がわからねぇ。「ごめんね、ちょっと遊びすぎたかな」銀時の言って
いる言葉の意味が理解できなくてただでさえ熱くなった目頭を抑えきれない。視界
一杯に広がった銀時の珍妙な服のあわせがじわりと歪む。泣くなよ俺。いつだって
こいつの言動や態度にいいように振り回されるのは俺ばっかりでそれでも嫌いきれ
ていないということを悟られるのが何より嫌で悔しくて悔しくて悔しくて。
 しばらくたってようやくまたこいつの計略にはまってしまった事に気づいて俺に
銀時に腹が立って仕方なくて殴ってやろうかこの下種がとも思ったがそれよりも離
れてしまうのが惜しくて何も言えずに黙って背中を撫でられるしかできないでいる。
俺は乙女か。どこまでも捻くれてしまった俺の頭がいやに冷静に今の状況を分析し
て皮肉に笑う。それでも愛しさと寂しさと安堵が心の奥から湧き出て銀時の両腕を
拒むことができない。「何、嫌に素直じゃん、今日」その腕を拒否しきれない俺に
皮肉ではなく安堵したように愛しげにくつくつと笑う。それにやっぱりおまえやせ
たよ、働きすぎじゃね?ちゃんと休めよ。その声にこいつも不安だったんだなと思
う。銀時の心音が、声の振動が心地いい。落ち着くと同時にテレビから昼メロのど
ろどろとした台詞が耳に入ってきて今の情況にあまりに似つかわしくなくてかすか
に笑う。こんなのは今日だけだ。それに後で殴って放り出してやるとは思うが今は
とりあえず、口付けをねだるために顔を上げた。




銀ちゃんは土方を試してみました。後で漏れなく鉄拳制裁が下ります。
タイトルはムックさんの曲ではなく、とある邦画からとりました。
「もう少し泳がせときましょうか」「いや今すぐ沈めちゃいましょう」
内容はクソでしたがジャケットのこの言葉は好きです。