Love me to the Bone !!




 あんたが嘗て見ていた世界を見たいと思っていた時期があった。あくまで、過去形ではあるが。
 いつだったか正確な時期などは貧弱な脳みそには刻まれていやしないが何年か前の秋口に、あんた
は珍しくアルコールのみの効能によって思考回路が半分以上あちら側に行ってしまったことがあった。
日付などは疾うに記憶の彼方だがそれがやたら空気の澄んだ肌寒い日だったのでそれは秋口のことだ
ったと思う。最初は普通に飲んでたはずなんだ。ごくごく普通の週末で、ごくごく普通に社員総出で
世話になってる居酒屋で騒いで、あんたは適当に飲みながら喝を入れると称して人を小突いていた。
ちょぉっとテンションおかしいなくらいは思ったけど、まぁ珍しいことに明日全員揃って休日だし、
無茶な飲み方する割に二日酔いの姿を見たためしはないから別にいいかと放っておいて、矢継ぎ早に
足され続けるビールに俺は切れていた。
 そのはずが何がどうしたか知らないが気付いたら俺は住宅街であんたと二人きりで、あんたは等間
隔に並ぶ灰色のコンクリートで出来た柱に頭をがつがつ軽く打ちつけながらぶつぶつとまっとうな(い
や、果たしてオレ達はまっとうか?)感覚を持った人間としては正しくないことばかりを口走っていた
のを俺は確かに覚えている。血は出ていない。まだマシか。マシか?クスリやってねぇ気違いとは残
念ながら付き合ったことがネェから判断できネェ。まぁ、翌朝手当てに関して八つ当たられなければ
まだマシなんだと思うことにした。それにしたってこのキチガイじみた行動が酔いの冷めた頭ン中に
朧気にでも残っていればの話だが。残っていたとしてもしらねぇ。あんたにしてみればどうやら電柱
とはお友達のつもりらしい。遠回りしながらあんたの部屋に向かいつつもあっちにふらふらこっちに
ふらふら、俺がちょっと気を抜けばその辺にぬぼーっと突き立てられたコンクリートの柱、つまりは
電柱と(彼にしてみれば)"会話"していた。
 いわく、
「何が言いテェわけ。ああそう、ああクソもう黙れ、口出しするな。オマエは今までどおり俺を監視
していさえすればいい。俺はいつでも完璧だ。オマエがそうしたんだどうだ傑作だろう!は!馬鹿馬
鹿しい。だが見てみろ、俺はオマエになりはしない、オマエも俺になりはしない。そうさ、それこそ
馬鹿馬鹿しい。オマエが俺に俺が稀有な存在だと抜かしたんだ、言い意味にしろ悪い意味にしろ、あ?
寂しかねぇさ、いつもどおりさ、テメェは黙って突っ立ってろ。そうだ、それが正しいあり方だ。正
しい世界のあり方だ。どうかしてんのは俺じゃなくてオマエだろう。無機物の分際でこれ以上俺に話
しかけんじゃねぇ!」
 意味わからん。とりあえず何とかしようと何度目か分からないが腕を持ってお友達の電柱から引き
離すと、やっぱりなんとも素直にそこから離れてくれた。やっぱりおかしい。俺もふらふらなのに。
おまけにまだなんかぶつぶつ言っている。寂しいか、だと?寂しいのはお前らのほうだろう、俺はお
前らとは違うんだ、動けも喋れもしネェお前らなんかに俺が理解できるか、俺はまだ何も諦めちゃい
ねぇ……会話の内容からするに、別に人間と間違えて絡んでいるわけではないし。つまり電柱がお友
達っていうのは、少なくともしゃちょーの中では紛れもない真実だということだ。うん、なんていう
か俺はあんたを尊敬してた。そりゃ外道で非道で鬼畜で有能で、実のところ本質はどうしようもなく
だらしのないダメ人間ってのは分かっていてその上での感情なわけだけれども、これは、ナイ。と、
正直思った。ヤバイ。コワイ。付き合いきれない。いやマジで。そもそもが暴力ヒデェしサドだしイ
カレちゃいたし非常識な人間であるはずの俺から見ても更に輪をかけて非常識な人間ではあったが俺
の知っているしゃちょーはキチガイ、の類でイカレた人間ではなかったはずなんだけど。つか薬キメ
ないでその状態になっちまってるのがまずキモイ。てゆーか俺は気違っちまったあんたをどう扱って
いいの。あんたはどう扱われたいの。何が正しいわけ。ホントどうしちまったの。外道で非道で鬼畜
なあんたはどこいっちまったの。などとゆるゆる思考をめぐらしながら、寝ちゃぁまずいと分かって
いても結局睡魔に勝てずにゴミ溜めに沈没した。
 翌朝目が覚めて真っ先に知覚したのは酷い頭痛、っつーかぶっちゃけそれよりもはっきりすっきり
明確な認識といえば明らかに有害で暴力的な匂いを含む朝霧の中、異臭と苦痛にまみれて路地裏に転
がって居たことだった。ゴミ捨て場で烏が誰かの吐瀉物をついばんでいる。物好きなことだ。都民の
ふてぶてしい隣人は、今にも言葉を喋りそうな怪訝な顔を一瞬して、すぐさま電線に飛び移った。ぼ
んやりしたまま周りをぐるりと見渡してみると、匂いに違わぬ何が入っているか怪しい真っ黒なビニ
袋に詰められたゴミ、ゴミ、ゴミ。つーかクセェ。まぁゴミはゴミ箱にってことで似合いっちゃ似合
いだけど。頭上でさっきの烏がぎゃあぎゃあ騒いでいる。あーうるせぇ。アレだけ飲んだのに頭痛の
ない頭を振って完全に覚醒すると、視界の端に形のいい頭が入った。あ、しゃちょー発見。何を考え
ているかわからんが烏はただの鳥だ。真っ黒いだけの、ただのずるがしこい鳥。烏に不吉を感じ取る
のは人間の勝手だが、残念ながら俺にはそんなかわいらしい心は持っちゃいない。早朝ではあるがち
らほらと出勤する人間たちが俺たちを横目でちらりと見ては、そそくさと足早に去って行く。尤も、
しゃちょーも俺もクズだがも一応人間だし見た目も中身も穏やかじゃネェからそれで正解だ。烏によ
く似た色の頭は微動だにしない。いかにもヤクザ、って感じのスーツの肩には汚らしいゴミがへばり
ついていて、それをほったらかしにしているあたりまだ完全には目覚めていないらしい。ぎゃあ、ぎ
ゃあ。しかし、ここで不用意に声をかけたらぶん殴られるのは明白なので、たった数十秒でも数分で
もいいから安全を得ることを選択した。問題の先延ばしだなんてことはわかってる。でもこえーもん
はこえーから仕方ネェ。どうせすぐにバレて学習しねーなテメーも、なんて言われて一発でトびそう
な強烈な蹴りを喰らうんだろう、なんて思っていたのに一向にそれらしき攻撃がやってこネェ、どこ
ろか罵声の一つも飛んでこネェ。よくみれば烏色の頭がさっきから微動だにしていない。やばい、こ
れは死んでんじゃねぇの?そういやがつがつ頭打ってたし。あの程度で死んじまう程かわいげのある
人じゃないが、この状況がおかしすぎる。今更すぎるがそれなりに慌てながらゴミ山から下りてしゃ
ちょーの顔を確かめる。目は、ぼんやりとあいている。顔色はいいとは言えないがそんなの元からだ
し、呼吸もどうやらしてるっぽい。あ、でこに瘡蓋が出来ててちょっと笑える。命が惜しいから笑わ
ネェけど。
「しゃちょー、あんた平気か?」
 目の焦点がゆるりと俺に合わされた。目が合う、瞬間、背筋が冷たくなった。やっぱりいつものあ
んたじゃない。闇をそのまま写し取ったような目は、更に昏い色が覗いていた。朝日に照らされてい
るにもかかわらず、生気のない本当の闇がそこから滲み出ているようだった。一瞬後、ほんの少しの
動揺がそこに混ざる。それこそ鳩が豆鉄砲、みたいな。
「ごだい?」
 ごだい?って。あんた、なんで、ンな顔。ひょっとして俺が後ろにいること気づいてなかった?ま
さか!
「あー、社長、頭へーきか?頭痛すんならクスリ買ってくるけど」
「あー……」
 別に、いい。張りの(針の)ない声。やっぱり何かヘンで調子狂う。まるで、何かのスイッチ切れち
まったみたいな。死体みたい、というよりは人形みたいで、顔だけはあんたなものだからいっそう不
気味だ。じっとみていると、うるせぇとも言われず殴られず、額の瘡蓋に触って少し顔をしかめてい
る。いやほんと、誰よこの人。
「なぁ、昨日の」
「俺は何も見なかった」
「吾代」
「で、いいだろ」
 そうだな。そう言って、しゃちょーはゆっくり立ち上がると、どっかに向かって歩き始めた。どっ
かっていうか、そうだよ、そっちはしゃちょーの部屋だ。ただ、ここからだと俺の部屋の方が近い。
昨日は何で歩いて帰ろうと思ったんだか。まぁ、距離にして一駅分だけど。
「しゃちょー、俺の部屋来ねぇ?近いし。そのまんまだと臭ェだろ。手当て、とかするし」
 言ってから、しまったと思った。俺さっき見なかったことにするって言っちまった。でも、しゃち
ょーは普段どおりに振舞うことに決めてくれたらしい。
「あ?あー、つーかお前の部屋って人上げられんのか?」
「ひでぇ!」
 まぁ、図星なわけだけど。とりあえず虫とか沸いてねーし、いいかと思ったんだよ!しゃちょーは
ちょっと思案するように一呼吸置いてから、じゃぁ行くか、目は死人のままで、口元だけでにやりと
笑った。マジこえー。不気味だ。そのあと、いつもに輪をかけて静かなしゃちょーと不気味な道中を経
て部屋に着く頃には、どうにかいつものしゃちょーらしくなっていた。げ、お前これちったぁ掃除し
ろよ。あんた人のこといえねーだろ、なんていつものように、、、、、、、騒いで、ちょっとゴミ臭かったけど、
ようやくこれで日常に戻れたって、情けないことに酷くほっとしたんだ。
 今になって思う。確かに、社長はあんなぶっ壊れちまったみてぇな姿を見られたくはなかったんだ
と思うけど、それよりも、俺の知らないそんな、俺たちなんかよりもよっぽど荒んでいる社長の内面
を見たくなくて、目をそらしたんだ。それが正解だかどうだったんかよく分からない。でも、こんな
に後悔することはなかったんじゃないかとは思う。一回だけだし事故みてーなもんだったけど、一瞬
だけあんたは根っこのところを俺にさらけだしたんだ。踏み込んで、それでどうにかなるってもんで
もなかったとは思うけど、少なくとも見ない振りをするよりはよっぽどマシだったろう。
 俺は馬鹿だし、やってもやらなくても後悔したことは殆どない。まぁだから馬鹿だったんだろうけ
ど。まさかあんたが、どこかのリリカルでメランコリックな少女マンガのような、少年少女たちのよ
うな関係を望んでいたわけじゃないだろう。でも、俺にとって一番、重要な人間に対してすることじ
ゃなかった。意味わかんネェからって放棄すべきじゃなかった。昔、あんたの見てるものを見てみた
いと思っていたことはあった。それ以来、見たいとは思わなくなっちまったし、もし望んだとしても、
決して見られるもんじゃなかったろう。でも、どちらにしてももう永遠にできなくなっちまった。あ
んたのことは好きだったよ。ああ、好きだった。今でも好きだよ。でも、あんたが俺にしてくれたみ
たいに骨の髄まで愛する、、、、、、、、なんてことは出来なかった。だって俺は理解できないって放棄しちまったん
だ。あの一瞬の間は、その声だったかもしれないのに。それが俺の、唯一で最大で永遠の、後悔だ。
あんたが死んでから初めて独りで飲みに行った夜、唐突にそのことを思い出した。それで初めて、幽
霊でもいいからあんたに出てきて欲しいって、本気で思ったんだよ。
 生憎今日は命日でも何でもない。でも、こんな馬鹿な俺の懺悔をあの人は聞いてくれるだろうか。
 あんたの魂が今、どこにいるかなんて考えたこともない。
 それでも足は、自然と化け物の住まうビル、元は俺らの城だった場所に向かっていた。




もとはちょっと前にNZさんに送りつけた電柱×くにはる。少々加筆・修正しています。
タイトルはDirのアルバムThe Marrow Of A Bone収録「The Fatal Belieber」の
シャウト部分「骨の髄まで愛してくれ」の英訳。
尻切れトンボな上、ありがちな話ですみません。ネウロはもっと色々書いてみたいです。
071117