子供の遊び


 
 春でも夏でも秋でも冬でも風呂上りって言うのは最高に気分がいい。汗と垢をし
っかり洗い流してむっとした風呂場から出て最初に吸う空気は新鮮で、子供のころ
よく隠れた狭苦しい押入れから出た瞬間によく似て開放感に溢れている。新八と神
楽を下心を含めて休暇と称して追い出した二日前、夜になって急に風呂が壊れてか
らだから3日ぶりの風呂だ。書入れ時だろうに馴染みの銭湯は改装中だとかで使え
なかったしまったくついてない。そんなわけもあって気持ちよくないわけがない。
とはいってもここみたいに無駄に男むさくなければなんだけど。特にこんな暑い日
は外回りから帰ってきた真撰組の面々が汗臭くて埃臭くて無駄につけた筋肉で鎧み
たいになっちゃった体を脱衣所に所狭しと晒しているものだからたまらない。夏休
みのせいでガキどもがちょろちょろと走り回ってる中お勤めご苦労様とは思うのだ
けれどむさくるしさが減るわけでもなし、ちゃっちゃと適当に体だけ拭いてとっと
と退散することにする。ま、俺はここの隊士でもなんでもないからもともと文句の
言える立場ではないし肩身が狭いと思わないこともない。風呂だって無断で借りち
ゃってるし。とはいえ風呂に入るときぐらいそのむさくて暑苦しい顔を3割くらい
穏やかにすればいいのにね。
 風呂場を出て廊下と縁側を少し歩いたあたりに土方の部屋はある。床板は日陰に
あっても空気と同じ温度にぬるまってしまっているが湯でしっかり熱くなった体に
はちょうどいいくらいだ。素足に板の感覚がぺたぺたと心地いい。庭の木々はしっ
かりと日光を吸収して濃緑色が目に鮮やかだ。これで風があればいいのだけれどさ
すがにそこまでは望めそうにない。遠くの空では入道雲がむくむくと勢力を伸ばし
ていてもう数時間もすれば夕立が降りそうだ。わしわしと乱暴に頭を拭きながら目
的の場所に向かう。途中何人か隊士の連中に会ったけど俺は部外者であるはずなの
に何も言われなかった。向こうもこっちもなれすぎてるせいだと思う。素性の知れ
ない人間が堂々と歩けるんだから、本当にこれでいいのか公務員。便利だし都合い
いし別に俺はいいんだけど。閉まったままの障子をそっと開ければそこは土方の部
屋だ。あいかわらず未処理の書類が山と積まれている。この前見たのは1週間ほど
前だがその高さは殆ど変わっていない。土方のことだからしっかりこなしているの
だろうけど大捕り物のあった後だしなにしろこういうデスクワークのできる人間が
俺の知る限り2人しかいないものだからやってもやっても終わらないのだろう。ご
愁傷様としか言いようがない。いつでも逃げ出せるように最小限の動きで部屋を見
渡すが土方の姿は見つからない。中を突っ切って奥の障子を開けてみても布団も土
方も見当たらなかった。どうやら不在らしい。見回りか会議か接待かなんかで上司
と会ってるのか知らないけど一雨来る前に彼が帰って来れたらいいと思う。
 仕方がないから土方の部屋で待つことにする。とりあえず埃のついた扇風機のス
イッチを入れた。ゆっくりと首を回し始め薄水色の羽が回転して部屋の空気をかき
混ぜる。俺の家よりは風通しのいいつくりになってるおかげでそこまで蒸してはい
ないがやっぱり暑い。てゆーか暑い。何で冷房ついてないんだ!今時のお役所、ま
あ役所でいいだろう、役所なんだから金は腐るほどあるだろうに冷暖房完備が当た
り前と思いきや、冬はストーブだし夏は扇風機とやたらロートルなからくりがフル
稼働している。多分弁償や修理に全部使っちまってんだな。まあ扇風機すら壊れて
る万事屋に比べれば天国と地獄なんだけど。じーじーじぅわじぅわじぅわじぅわし
ゃしゃしゃしゃしゃー。昨今生域を狭められているはずの蝉がうるさく喚きたてて
いるおかげで暑さも4割り増しに感じる。扇風機がどれだけがんばっても形無しだ。
おーおーおーと音のする扇風機は何とかいおんが発生するスイッチのついていない
なかなかいい感じのぼろ具合だ。後ろの出っ張りを引っ張って首振りを止める。あ
まりの暑さに扇風機の前に陣取って子供がよくするように風を独り占めした。多少
涼しい。生乾きだった髪の水分が風でどんどん飛ばされていくような感じがした。
男は永遠の少年だから別に俺がやってもいいだろう。誰もいないし。回転する薄水
色の向こうには明るすぎる太陽といよいよ巨大に成長した入道雲が見える。今頃新
八たちは海でよろしくやっているだろうか。あーあーあーうちゅうじーんなんてや
っているとゆっくりと気配が近づいてくるのがわかった。あいつが声を出すまであ
と5秒、4、3、2、1。
「なにやってんだてめぇ」
「おかえりー」
「おかえりじゃねぇよ、何でここにいるのかって訊いてんだよ!」
「やー、風呂壊れちゃってさ。借りに来た。もちろんお前にも会いにき」
「ここは銭湯じゃネェよ風呂行きてぇんなら金払っていけ。それとも数十円も出せ
なくなったか?」
「冷たいなぁ。久しぶりに会えたってのに」
 久しぶりもクソも3日前会ってんだろとぶつぶつ呟きながら几帳面に閉めていた
ボタンをはずしてゆく。俺に会ったのがいつか覚えていることを白状しているのに
それを無意識でやっているところが可愛くて仕方がない。くっきりと浮かび上がる
白い首の筋から鎖骨にかけてのラインが好きだ。他の隊士と同じように汗まみれ埃
まみれになっているというのになぜか嫌なにおいが感じられないのはただの欲目で
はないと思う。今すぐ抱きしめたいのだけどここで実力行使に出ると殴られるどこ
ろではすまない気がするのでここはおさえてとりあえず風呂にでも行ったらと提案
してみると気持ちが悪いものでも見るような目で見てからそれでも汗が気持ち悪か
ったのかおとなしく出て行った。おとなしくしてろと余計な一言は忘れずに。言わ
れなくてもおとなしくしてます暑すぎて動く気力もないんではやいとこエアコンつ
けてください。文句ばかりが頭をよぎるけど何一つ言葉にならない。しゃべる気力
もないのだけど土方に会ったことで頭の回転だけがからからと二倍速ぐらいになっ
ているのを自覚しながら目を閉じて横になった。雨のにおいがする。一雨来る前に
帰ってこれた彼に心の中だけでよかったねと言っておいた。


 ふわ、と湿った空気が顔をなでて目を開けた。夕立はとうに過ぎてしまったよう
でいくらか涼しくなっている。ビルの狭間に見える空は赤い。どうやら眠っていた
ようだ。視線を動かすと土方が扇風機の前を俺がやっていたように独占していた。
何時もの隊服ではなく着流しを着て前をくつろげている。黒い服と相まって肌の色
が目に痛いほど白い。
「起きたか」
「あー。何時だ?」
「さあ」
  6時くらいじゃねぇの。ちらと空に目をやってから答えた。扇風機に吹かれる土
方の髪も完全に乾いてしまっている。だいぶ寝てしまったようだ。位置は移動され
てしまったが固定モードだった扇風機はいつの間にか首振りに変えられている。さ
っきからその前で何をしているかと思えば土方は右手に持った煙草を少し吸うと首
が彼の前に来た瞬間ふーと羽に吹き付けては遊んでいた。それさっき俺がやってた
のと変わりねーじゃん。うちゅうじーんなんてね。あーなんかこの空気いいな。す
っかりくつろいだ様子の彼に、ひっそり微笑んだ。
それにしてものどが渇く。眠っている間にだいぶ汗をかいていたらしい。机の上に
二つ置かれた湯飲みの一つを取って流し込む。だいぶぬるくなってしまっているが
渇いたのどに気持ちがいい。それでもまだ足りなかったのでこれもらうねなんて断
って返事を待たずに飲み干した。のどの渇きは癒されてもまだどこか乾いてる気が
する。土方はまだ扇風機で遊んでいる。煙を吐き出すたびに突き出す唇を見てああ
それが足りないのかなと思う。そっと後ろに近づいてほほにちゅーしようとしたら
扇風機の動きとリンクして向こうを向いてしまった。首が戻る動きと一緒に顔も戻
ってくるが今度は前を向いて止まってしまう。半周反対側にまわって真ん中に戻っ
て、また扇風機と一緒に回る。かわされてしまった唇は乾くばかりだ。正面を向い
ている彼の目元は笑う。ちらりと視線を移すと白いうなじが目に焼きついた。上等
の砂糖のように白くてきめ細かいそれを見ていると甘くておいしそうに思えてくる。
寝起きの頭はろくなことを考えない。だから唇はあきらめて代わりにそこに食いつ
いた。
「ばっ!てめ、何しやがる!」
「あ、こっち向いた」
「そこ噛まれりゃさすがに向くだろ!」
 俺がさっき噛んだうなじは怒りのせいだけでなく真っ赤だ。殴られるかなと思っ
たら意外にも何も言わずに前を向いてしまう。彼の真っ赤になった顔は可愛くて仕
方がないのにもったいない。多分恥ずかしいんだろう耳まで赤い。堪らなくなって
無理やり頭を捕まえて上を向かせる。驚いて少し苦しそうな顔をしたけどそのまま
目を閉じたから、ちゅー。乾いてた何かがようやく満たされてく感じがした。その
まま土方が後ろに体重をかけてくるからバランスを崩して倒れてしまった。ごつん
といい音がしたし頭は痛けどこいつが素直になることなんて殆どないからまあ、い
いかなんて思う。俺の脚に頭を置いて土方が笑っている。悪い雰囲気じゃない。だ
からあとはまあ、なし崩し。



無駄に長くてすみません。