笑えない明日


 
 さっきまで一緒に酒を飲んで同じように酔っ払って管を巻いていたはずの男はや
たら確かな足取りで数歩歩いてこちらを振り向くと呟くように好きだといった。あ
れそれどういう意味、言葉の意味が脳に届くまで数秒かかったが全てを理解した瞬
間すうと酔いがどこかに吹き飛ばされるのがわかった。ああそう。お前俺のことが
好きなの。正気かなんて聞き返すのはさすがに失礼だしそこまで野暮な質ではない。
さんざ悩んでどうしようもなくなって口をついて出てしまったのだろう。相変わら
ず濁った目をしているがその奥には真剣な光がたたえられているのがわかる。屋台
の明かりは遥か彼方だ。両足は根でも生えたかのように動かない。そのまま笑って
冗談にしてしまってさっさと帰ればいいじゃないか。俺はなぜそれをしない?好き
なんだよと呟く声は普段より弱弱しい。力なくおろされた拳が寒さのためでなく酔
いのためでなく小さく震えている。
 それでも俺は動けない。返答の仕様がない。何も考えられない。
  そりゃあ確かに俺だって銀時のことは気に入っている。
  やたら与太話に詳しいし食事はともかく趣味が合う。
 見てるドラマだってよくかぶるし女の話だって普通にするし下ネタにはしること
もしばしばあった。
 いい飲み友達だ。
 だから、余計に、彼がそんな風に俺の事を見ていたなんて気づかなかった。
 気づかなかった。
 本当に?
 見回りの経路にしばしばあの銀髪を見かけることがあった。
 そんなときは何よりも大切だろう桃色の頭の娘や眼鏡の小僧や化け物犬を放って
おいて話しかけられる。初めは散歩のコースとたまたまかち合っていただけだろう
ぐらいに思っていたが奴が一人でぶらぶらしているときだって話しかけてくる。
 何時もたまたまだなんて言っていた。たまたまだと。
 だから気づかなかった。
 本当に?
 何となくおかしいとは気づいていても考えないようにしていたわけではなくて?
確かに考えないようにしていた。奴の立場がグレーだったからだ。あまり親しくな
りすぎるのもそれを表に出しすぎるのもまずいと思っていたからだ。こちらの情報
を聞き出されるのもあちらの情報を知ってしまうのもまずい。いざというときにど
ちらにも巻き込まないように巻き込まれないようにするためだ。だがそれは本当に
それだけか?彼に好意を抱かれていると自惚れることが怖かったのではないか?そ
れで外れたときにこの心地よい関係が終わってしまうのが怖かったのではないか?
 そうだとしたら今ここで答えてしまえばいい。銀時との関係は続く。今まで通り
余計なことは言わなければ訊かなければいい。幸い同性に好かれることに嫌悪感は
なかったしせっかく好意を抱いてくれているのだからいい、と答えて終わりじゃな
いか。けれど俺の口は何の言葉も紡がない。ただ疑問ばかりが頭の中で渦巻いてい
る。
 夜空は深い闇色をしている。ここは郊外だからまぶしすぎるネオンもなりを潜め
ている。今夜は月がないおかげで都心よりは星が多く見える。まったくたいした舞
台だなんて現実逃避にしか過ぎないことを考えた。奴はまだ立ち尽くしている。俯
いて、好きなんだよと呟くばかりだ。
 一人で呑んでいるときも必ず声をかけてくる。味覚は会わなくとも酒の呑み方は
同じだから店が被るんだろうと思っていた。やたらと顔が広いし彼の仕事のせいも
あって情報収集の意味もあっただろう。だけど町外れにいるときでも顔をあわせる
ことになったのは何故だ?呑んでるときに奴の視線を感じてそれでもやっぱり気づ
かなかった?そんな馬鹿なことはないだろう。ただ、考えなければ、訊かなければ、
言わなければやがて過ぎてくれるだろうと思っていただけだ。結論を出すのを避け
続けていた結果がこれだ。
 固まったままの奴を見てため息をついた。
 結局俺は銀時のことが好きなのか?
 嫌いじゃないとしてもただこの場を乗り切るためだけの言い訳にしようとしてい
ないか?


 それはつまり、面倒なことになったと思っていないか?