その境界



 昼間にしては人通りの少ない道を二人で歩いた。デートと言えなくもないがただ人
ごみを避けて万事屋へ行こうとするとそうならざるを得ないというだけで実際にはそ
んな甘い空気など欠片も漂ってはいない。土方が煙草を黙々とふかしながら早足で歩
いてその後ろを銀時がついていってるだけだ。俺たち本当に付き合ってるんだろうか、
銀時はそっと溜息をついた。土方は二人でそろって外を歩くときに体の接触を執拗に
拒んだ。銀時がちょっと手に触れようと近づくと歩く速度を速めてその手を振り切っ
たしなるべく他人に見えるように後ろを振り返らずさっさと歩くばかりだ。並んで歩
くことさえさせてくれない。その背中には冷たい拒絶の文字が浮かんでいて彼との関
係を考えるたびに腹立たしかった。寂しくはあるが彼の事情も分からなくはなかった
のだが。だが本当ならどこかで待ち合わせして食事したり遊んだりしたいのにたまに
行ったとしても仏頂面で黙ってるばかりで楽しくない。今日の待ち合わせだって屯所
まで行くと言ったのに帰ってきた言葉は喫茶店で待ってろの一言だった。部屋でどれ
だけ笑っていたって一歩外に出ると彼の顔には冷たい表情が張り付いているのだ。そ
んなに人に見られるのが怖いのか。きっと誰も笑いやしないのに。なんと言ったって
ここは天下の歌舞伎町だ。往来ではオカマが堂々と客引きをしているし誰もがそれを
日常として受け入れていた。
 もちろんそんな問題ではないしそれに、土方が外での接触を嫌う理由だって分かり
きっていた。銀時との関係が公になるのを恐れているのだ。彼は銀時のように身軽な
体ではない。ただ、だからこそ腹が立つというのもあった。お前は俺を受け入れた時
点でそれを覚悟していたんじゃないのか。それを、何だ、隠し通そうなんざ虫が良す
ぎる話だ。俺たちは別に悪いことをしてるわけじゃない。普通じゃないことの何が悪
い。誰もに祝福される関係ではないとは分かっているがそんなものいらないだろ。
 それでもいいと思っていた。土方が嫌がるなら日の下ではおとなしくしていようと。
  だがそれももう限界だ。
 銀時は小走りに近づくと無理やり土方と手を繋いだ。予想通り手はぱしんと音高く
振り払われて小さな痛みが広がった。土方は何事もなかったかのようにそのまま歩き
続ける。眉間にきつく皺が刻まれているのが容易に想像が出来た。その態度にどうし
ようもなく腹が立って腕をつかんで引き止めた。
「離せよ」
「嫌だ」
「人が来んだろが」
「来ねぇよ」
「やめろ!」
 土方は思い切り銀時の手を振り払った。勢いがつきすぎたせいで銀時は吹っ飛んで
壁に派手な音を立ててぶつかる。その音にはっとして土方は辺りを見回した。誰もい
ないのを確認してあからさまにほっとした表情の土方がどうしようもなく悲しく腹だ
たしかった。なんて哀れで浅はかな生き物。さすがに悪いと思っているのか土方は銀
時を起こすために手を差し出した。その手をつかむと悲しいほど暖かなのが分かって
もっとその手が欲しかった。刀を握る手なのに細く長い指をしている。俺が欲しいの
はこれだけなのになんでこんな簡単なことが手に入らないんだ。土方は早くしろ、帰
るぞと銀時をせかす。誰かが来るのを恐れているのは明白だった。そのまま衝動に任
せて腕と襟首をつかんで口づける。土方は一瞬目を見開いて高速ではなれた。
「何しやがる」
「キス」
「違ぇだろ。何でだって訊いてんだよ」
「したかったから」
「帰ればいくらでもできんだろ」
 だからほら、いくぞ。土方は座り込んだままの銀時を無視して歩き始めてしまう。
いつまでもはぐらかし続ける土方に銀時は頭を熱くした。銀時は勢いよく立ち上がる
と土方の服をつかんで壁にたたきつけた。そのまま苦しそうに顔をゆがめる土方に口
づける。閉じたままの唇を無理やりこじ開けて歯を舌でなぞるちょっとした刺激にも
土方は体を震わせた。息苦しさに力が緩んだ瞬間に怯えたように引っ込めたままの舌
を吸い出して蹂躙する。離れたときには怒りか羞恥か真っ赤になってその場に座り込
んでしまった。
「誰も来なかっただろうが」
「そういう問題じゃねぇ」
「じゃあどういう問題だよ」
「外でこういうことすること自体が問題だっつってんだよ!」
「っお前は!」
 どこで話してると思ってんだ、声がでけぇ。
  銀時は文句を言う土方を無視して言葉を続ける。
  そこで黙っては意味がなかった。
「俺は家ん中だけじゃなくて外でキスしたいしそれは無理だとしても並んで歩いたり
手を繋いだりデートしたりしたい。一緒に食事したり笑ったり。それくらい誰だって
してるだろ。なんでそんな隠そうとしてんだよ。別に俺たち悪いことしてるわけじゃ
ないんだし文句言う奴らなんて無視すりゃいいじゃねぇか!」
 土方は俯いた。こいつの言っていることは分かる。分かるし俺だってそうしたいの
は山々だ。でもそれじゃ駄目だ。だめなんだ。なんでこいつにはそれが分からない。
銀時は常識との境界をものともせずにひょいと簡単に飛び越えてしまった。でも土方
はそういうわけにいかない。自分ひとりのせいで数十人の隊士を路頭に放り出すわけ
にはいかないのだ。近藤はどうする。俺たちの夢は。
「お前はそれでもいいよ。でも俺は、組織の人間なんだ。下に示しがつかねぇし何よ
り付け入られる隙を作るわけにはいかねぇんだよ」
 わかれよ。そう言って土方は黙った。自分を正当化ばかりしている土方を銀時はさ
げずむように見下ろした。分かりきってるそんな言い訳を聞きたいわけじゃなかった。
それに多分、土方の本音はそんなところにはない。
「今度こんなことしたら別れる」
「冗談じゃねぇ。それにお前は俺とは別れらんねぇよ」
「なんだそれ」
「嫌いになってもいないのに別れるとか言うな」
「今嫌いになった。別れる」
「嘘だ」
「っ黙れよ。もうこんなことすんな」
「無理だ」
「今度こそ人に見られたらどうする!ちったぁ俺のことも考えろよ!」
「揉み消しゃいいだろ」
 近藤のストーキングみたいに。銀時の言葉に土方は唖然とした。銀時のいっている
意味が分からなかった。それ以前に揉み消すなんて事考え付きもしなかった。
 いや、考えつかなかったなんて嘘だ。考えないようにしていたのだ。そんなことを
してしまえばもう戻れなくなってしまう。
 言いながら銀時は気づいていた。土方が恐れていたのは人目それ自体ではない。銀
時は土方が欲しかった。土方が銀時を欲しがっていることも分かってしまった。だか
らこそ、今、ここで、土方を突き落とす必要があった。
「そうだよ揉み消しゃいいんだよ。簡単だろうが。見られたってどうってことねぇよ」
「そういう問題じゃ」
「じゃあどういう問題だよ。お前が怖いのはバレて責められることじゃねぇ。俺とい
るのが怖いんだろ。この先がねぇのが怖いんだろ。なあ、違うか。そんなもんそれこ
そ今更だろうが。お前は俺を受け入れたんだ。覚悟がないなら今させてやる。お前に
はもう逃げ場はねぇんだよ」
 銀時は座り込んだままの土方に手を差し伸べる。土方はその手をまぶしそうに眺め
た。銀時の手から逃れようと後ろに下がるがそこは壁だ。もう逃げ場はない。こいつ
の手を取ってしまえばもう戻れない道を歩くことになりやしないか。土方は銀時の顔
を見上げたが逆光になってうまく表情が読み取れなかった。目の前に立つこの男の正
体が分からない。自分と銀時の間にある溝をはっきりと感じてぞくりと体を震わせる。

「お前も早くこっちに来い」

 この線を越えて。

 差し出された終末に、土方はおそるおそる手を伸ばした。