最近よく、カナリアの夢を見る。多分、本物をまじまじと見たことはないから本当にそ
うなのかはわからないが、黄色くて小さな体を持つ鳥を見て、なんとなくカナリアだろう
と思った。場所はまちまちで俺の部屋だったり街中だったりどこかも分からない草原だっ
たりするのだが、カナリアは籠の中に入ってもいないのに静かな目で俺をじっと見ている。
たしか、美しい声を持つはずのその鳥は、鳴きもしないし飛びもしない。それは、俺がそ
の声を聴いたことがなくてどんな声なのか知らないからなのかもしれない。ただ、カナリ
アに手を差し伸べてみても逃げも近寄りもしないことに、堪らない寂しさを感じて目覚め
た瞬間微かに胸の奥がうずいたのを覚えている。
最近よく、銀時と会っている。それは今までなかったような頻度で、俺は少しばかり困
惑していた。街で会えば声をかけてくるし、馴染みの店に行くと必ずそこに居た。妙なこ
とは分かってはいたが、俺は別にそのことを厭わしいとは思わなかった。
そのうち約束をして会うようになって一緒に飯を食ったり酒を呑んだり、キスをしたり
セックスするようになって、ああこれでは恋人のようだと思っても俺もあいつも特に何も
言わなかった。特に、何も。だから、俺と銀時は友人だった。キスをしても友人だった。
セックスをしても友人だった。時折、焦がれるように思い浮かべる友人だった。
夕方になっていつもの居酒屋に行くと、やはりそこには銀時が居た。そして、その横に
はこれまでで初めて先客が居た。色が白く、聡明そうな美しい女だった。どこまでも優し
い形をしている女だった。銀時は彼女を友人だと紹介して笑って、それから俺に席を勧め
た。適当に笑い返してからそれを断って、彼らが見えない位置に席を取った。特に銀時と
約束をしていたわけではないし友人なのだからその必要はないというのに、俺は友人の友
人に嫉妬していた。突然、銀時と会うのが夜ばかりだと気づいて堪らなく寂しい気持ちに
させられた。それを酔いのせいにしたかったのだが、まだ銚子一本しか開けていなくてそ
の気も失せた。寂しい。寂しいよ銀時。どうにかしたかったがどうしたらいいのかわから
なかった。彼は俺の友人だった。だけど、言葉で、態度で俺を傷つけられる数少ない人間
なのだと思った。
その日は結局いつもより少ない酒量で気分が悪くなって、気づいたときには万事屋に居
た。床が低い位置にあってソファに寝ているのだと気づく。布ずれの音がして横たわった
まま目をやると、銀時が薄目を開けて俺を見ていた。
「起きた」
「ああ、悪いな」
銀時。
「別に。お前重くてさ」
「悪い」
「なあ、お前さ、何かあった」
「別に、何もねぇよ」
「あ、そ。なあ、ちょっと触っていい」
銀時。俺は寂しいよ。寂しくて、悲しくて、銀時に触れられている時間は幸せで、だけ
れどどこまでも孤独だと思った。ずっと傍にいたい。本当はそれだけのことなのに、それ
を言う勇気が俺にはなくて、例え言ったとしても俺の寂しさは決して埋まらないだろう。
部屋の明かりは全て消されていた。外から入ってくる明かりで銀時の体の線が光っている
ように見えた。体中を動き回る乾いた指先に、漏れそうになる声を首筋に埋めることでこ
らえた。
何日か経って、仕事の付き合いで行った店の女に雑談の一環として夢の話をした。翌日
は、1週間ぶりに銀時とあう約束をしていた。彼女は、黙って俺を見つめたあと、その夢
は、何か不安があって、自由になりたいだとか、独立したいだとか、何かから逃げたいと
きに見る夢なのだと教えてくれた。俺は銀時から逃げたいのか、不安定な関係をはっきり
させたいのかもうよくわからなかった。ただ。ただ、頼むから何も言わないままこれ以上
俺の中から何かを奪っていくのはやめて欲しいと思った。
約束は夕方からだったが、その日は半休だったので昼を過ぎた頃に訪ねていったのだが、
予想と違って銀時は迷惑そうな顔一つせずに招き入れてくれた。久しぶりに入る昼間の万
事屋は、どこまでも騒がしかった。ピンク色の頭をした形だけは人間の化け物娘は化け物
犬と加減をせずにじゃれあっていて、部屋は全くひどい様子をしていた。銀時はそれに怒
鳴りながらもどこか楽しそうに見ていた。柔らかな日差しに照らされて、銀色の髪がきら
きらと輝いていた。ふと、窓際に目をやると鳥かごの中にカナリアがいた。黄色くて小さ
な生き物は部屋の中の喧騒に怯えたようにひっきりなしに美しいさえずりを繰り返してい
た。途端に、ここが夢なのか現実なのか分からなくなる。じっと見ていると、視線に気づ
いた銀時にそれは隣人が旅行に行くとかで預かったものだと説明された。カナリアは、夢
の中のように静かにそこに留まってはいなくて、落ち着きなく動き回っている。
なあ、銀時。俺はもう俺がどうしたいのか、どうしたらいいのか分からないんだ。どう
しようもないことは分かっているのに、なのに離れたくないんだ。焦がれるように望んで
いても、手に入らないものがいくらでもあるなんてことは知っている。何をしても何を言
っても俺が一人だということは変えられないということも知っている。なのに今、俺はお
前のことが好きで、どうして諦められないんだろう。分かっていることと、そうできるか
どうかは別だということも知っているのだけれど。
「あっ!」
ガシャーンと大きな音がして振り向くと、どれだけの力でぶつかったのか鳥かごが床に
落ちていて、カナリアは窓の外にいた。黄色い生き物はあっという間に青の中に吸い込ま
れていく。
「ちょ、お前、どーすんだよ、あー、ピーちゃんが!かむばっく!」
鳥かごは完全に壊れていた。子供は唖然とした顔で空を眺めていた。銀時は窓から身を
乗り出して届くはずもない鳥に向かって手を伸ばしていた。日差しが眩しくて思わず目を
伏せた。カナリアは居なくなってしまった。急に俺は、捨てられたのだと思った。
自由になったのではなくて、色んなものから見放されたのだと。
口を開く。俺は、何がしたいのか、やはりよく分かっていなかった。
何日かぶりに訪ねていった万事屋には、壊れた鳥かごの跡も何も残っていなくて、代わ
りに銀時の顔に青あざができていた。鳥の持ち主に殴られたらしい。馬っ鹿じゃねぇの、
と笑うと、マシンガンのように文句を並べ立てた。その中に俺に対する文句も混じってい
たが、それは聞かないでおいてやった。
あれ以来、カナリアの夢は見ていない。
何もかもから見捨てられたのに、妙に満ち足りた気分だった。
060627
小鳥が飛び立つ夢は「失恋」の暗示らしいです。