さかしまなエンドロール



 待ち合わせは喫茶店だったからというのはただの言い訳で、空は怪しいくらい暗かった
のに面倒が勝って傘を持ってこなかったら案の定、雨が降り始めてしまった。
 待ち合わせていた銀時に少し期待をしていたが、案の定銀時も持ってこなかった。
「お前、何で傘持ってこなかったんだよ」
 こいつにそんな甲斐性は微塵くらいしか求めてはいなかったが、わざと不機嫌な声を作っ
て言ってみたら拗ねたような声で「だぁってよ、結野アナが降らねぇって言ってたから」
などと言うものだから、呆れてしまった。すっかり逆ギレするものだと思っていたのに。
「銀時」
「んー?」
「お前、んなくだらねぇ理由で」
「ばっ、お前、くだらねぇとか言うなよ。結野アナはエンジェルなんだよ。俺の」
「馬鹿じゃねぇの。大体、今みたいなのは、じゃあ何でお前は持ってこなかったんだよ、
っつーのが定石だろうが」
 ちょっと笑ってしまいながら言うと、銀時は不思議そうな顔をして俺を見て、目元だけ
で「ああ」と笑う。
「じゃあ何でお前は持ってこなかったんだよ」
 酷く平坦な、抑揚の無い声。余りにも度を過ぎた棒読みに、二人して同時に眉を顰める。
「何、何なんだよ、今の」
「さあ。何か出たよ、今。俺」
 ざあざあとまではいかないが、さあさあと降り続ける雨に靴先が汚れる。このまま喫茶
店で雨宿り、という案が出たがさっき店内で流れていたニュースでは、このまま夜になる
まで降り続くらしく、却下。諦めて、二人して直ぐ其処のコンビニに駆け込んでビニール
傘を2本購入した。それに何か言いた気な銀時はあえて無視をした(どうせろくなことでは
ない)。わずか浴びた雨がしっとりと肩を濡らしている。寒いな、と小さく呟いて、透明
な膜越しに重い色をした空を見上げた。放射状に降り注ぐ雨。雨粒は十数センチ頭上で身
体に届く前に弾かれて水滴となって落ちてゆく。ふと隣を見ると、銀時は黙って歩きなが
ら俺をじっと見ていた。
「銀時」
「何だよ」
「お前、さよなら、って言ってみろ」
 俺がそう言うと、銀時は又不思議そうな顔をして少し目を眇めたが、それからやっぱり
抑揚の無い声で「さようなら」と呟いた。
「もう一回」
「さようなら」
 昔から俺は、どれだけ幸福だと思える時間を過ごしていても、一瞬後に訪れるかもしれ
ない崩壊の瞬間を思い描かずにはいられない人間だった。
「もう一回」
「さようなら」
 昔から、写真が嫌いだった。写真に写る俺は、今隣にいる男に負けないくらい死んだよ
うな顔を、自分で見てもガラス玉のような虚ろな目をしていた。それは、始終何かに怯え
ているような、未来を思い描けないようなそんな表情にも見えて何よりも嫌だった。最悪
の事態を想定して、それに慣れるために何度も何度もその輪郭を丁寧に辿っていく。仕事
のことを差し引いても俺はいつまで経ってもどこまでもそんな人間だった。不意に、まだ
銀時と会って間もない頃、彼が、怖がるなと言っていたことを思い出していた。
 俺は恐れているのだろうか。
「もう一回」
「……さようなら」
 その通り。俺は恐れている。過ぎた幸福も。その後に訪れる絶望も。その痛みも。
 真っ直ぐな眼差しで、恐れるなと彼は言う。
  だけどそれは無理な話だ。無理なのだ、俺には。
「もう一回」
 相変わらずの度を越した棒読みが急に途切れて隣を歩いているはずの銀時を振り返ると、
数歩後ろで俯いたまま立ち止まっていた。無意識で向かい合う。
「銀時?」
「もう嫌だ」
 もう、止めろ。最後の一言が想像よりはるかに強い力を持っていて俺は無表情のまま酷
く驚いていた。あの時、酷く強い目と声をしていた銀時と声がかぶる。そういえば、あの
時、も、雨が降っていた。去年の六月の、初夏のはずなのに酷く寒い日のことだった。

 『怖がるな。俺と二人でいるときくらい、恐れずに求めろ。お前も。
  俺も。』
 
「悪い、ちょっと嫌だったな」
 少し微笑ってみせて、又前を向いて歩き出す。根本のところで少し似たところのある彼
は多分俺が意図していたことをわかっている。俺はそれを言わせないために分かっている
ことを悟らせないように勤めて平静な振りをしていた。俺は今、俺が馬鹿みたいに怯えて
いることを知っている。多分、銀時も。
 本当は寂しいと言いたい。寂しいと言って縋りつきたい。
寂しい。寂しい。寂しいんだ銀時。
でも、それはできない。やってはいけないことだ。
 二人して冷たい雨が降り続く中を歩きながら、俺は胸中で先程の銀時の台詞を声を何度
も繰り返す。
 さようなら。さようなら。
 いつか来る終わりのときに、笑っていられるように。
 十月の初めの、冷たい雨が降る日だった。




200610905 臆病な土方