夢見る子宮 1



 九月の終わり、秋口とはいえ蒸していて窓の外を急ぐ人々の半数はまだ夏とそう変わらぬ
装いをしていた。どういう理由だか知らないが閉じられた傘の半数は闇の色をしている。雨
は止んではいたものの空は眩しい白色をしていて遠くにはまだ暗い色の雲がかかっていた。
昼はとっくに過ぎていて、かつおやつの時間には早いためかパフェとランチが人気の喫茶店
にはいつもより人が少ない。とはいっても6割がた席は埋まっている。店内には薄く冷房が
かけられていて、二つ目のパフェを口に運んだ瞬間銀時は思わず体を震わせた。目の前で、
土方は3杯目のブラックコーヒーを手にしたところで、灰皿の中にはこの30分で2本の吸
殻が増えていた。
 ふと、ビル群のほうへ目をやると高層ビルの頭に薄く靄がかかっているのが見えた。雲が
それだけ低い場所にあるのだろうか、それともあの場所だけに雨が降っているのだろうか。
そんなことはどうでもよかったし、お天気お姉さんは好きでも気象の知識など全くないので
考えてみても結論は出なくて、結局意識はパフェに戻ってくる。目下の問題はこいつを片付
けている間にも溶け続けてゆく3つめのパフェをどうするかだ。どちらにしても、あの中に
居る人間は下界など見下ろせはしないしきっとそんなものに興味などないのだろう。ちらり
と土方のほうを盗み見ると、三本目の煙草に火をつけているところだった。そこから何か読
み取ろうとしても、仮面のような無表情からは何を考えているかわからなかった。
 二つ目のパフェを片付けながら、昨日見たバラエティ番組の話をすると、独断的な視点の
銀時の話に土方はいちいち突っ込んだり間違いを拾い上げて丁寧に訂正しながら時々笑った
り、怒ったりする。こうやって、会話には即座に反応してくれるのにふとした瞬間、感情を
表現するときに少しだけタイムラグがあるのに銀時は気づいていた。今だって、そう。一瞬
表情をなくしてから、それからようやく笑うのだ。土方が実は余り感情の豊かな人間ではな
いと短い付き合いではあるが、何となく悟っていた。土方の周りにに何か薄い膜のような、
そして時折それは壁のように感じる程大きな隔たりがあって、多分そこを一旦通してから表
情に表れるからそんな風に感じられるのだろう。笑おう、と思ってから笑うような男だ。怒
ろう、と思ってから怒るような男だ。愛そう、と思ってからでないと愛せないような男だ。
 気づけば、話題は仕事の予定に変わっていた。健康診断の制度を導入するから、マヨネー
ズの量を制限されているのだといって土方は笑った。銀時がお前絶対成人病だよ、ガンの一
つでもみつかるんじゃねーのとからかうと、土方は自覚があるのか苦笑するだけで何も言わ
なかった。土方の携帯が鳴った。黒くてメタリックなデザインのそれの番号は、公用だとか
で教えてはくれなかった。
「銀時、ちょっと」
「電話?」
「ああ」
 悪いな、と言い置いて土方は携帯を持って出て行ってしまった。3つ目のパフェを食べな
がらその背中を見送って、思う。
 あいつ、わかってんのかね。
 小さく自嘲して、すぐに表情を消す。半分ほどに減った3つ目のパフェの、程よく解けて
底にたまった白いアイスとフレークをかき混ぜた。土方が、呼び出すと忙しい合間を縫って
付き合ってくれる理由が、銀時には余りよく分からなかった。待ち合わせに来ても、特に会
いたがっていたような素振りは見せないし銀時と居る時間を楽しんでいるようには見えない。
もっとも、銀時はそのことをあまり深くは考えたくなかった。そんなことをしなくても土方
との関係は良好だし、何の支障もない。恋人という意味での付き合いには何の不満もなかっ
た。食事したり、呑んだり、キスをして、好きだといって、セックスした。ただ、時折もど
かしく思うことはあるのだけれど。
 数分して、土方は申し訳なさそうな表情を貼り付けて戻ってきた。それを見て、ああこれ
から仕事なんだろうなと思う。
「呼び出し?」
「ああ。悪いな。もう夏も終わりだってのに、馬鹿が多くて困る。ここは俺が払うから」
「ああ……悪ィ。なあ、」
「何だ」
「……また会ってくれるか」
 土方はやはり一瞬止まってから、笑って当たり前だと返した。どこか空っぽな笑い方だと
思った。
 いっそ嫌ってくれていればいいのに、土方はそれを出さない。嫌ってくれさえすれば痛み
ですむのに、それをしないから期待してしまう。いっそ痛みがあれば絶望できるのに。銀時
はそっと溜息をついて、伝票を片手に出口へ向かう土方を見送った。
 心の底から分かり合うなんて幻想だなんてことは知っている。それでも、もう一歩でいい
から土方の中に踏み込みたかった。それなのに、近づいたと思えばいつもあと少しのところ
で土方という人間が分からなくなる。うまくかわされているだけなのだろうか。時折、置い
ていかれた子供のような、ひどく心細くて寂しげな表情をしていることをあいつは分かって
いるだろうか。できたら俺が、その寂しさを埋めてやれたら、共有できたらと思っているこ
とをあいつは分かっているだろうか。
 銀時は、なめ尽くす勢いで平らげたパフェの空だけを残して喫茶店を出た。外はまた、雨
がまた降り始めていた。

*

 土方が呼び出されたのは、本日護衛に際して相手方が急に真撰組の副長を指名してきたか
らだった。重要な会談ではあったもののそこまで厳しくする必要はないと判断してもともと
平の隊士を数名つけていたのだが、昨今激しくなるテロに恐れをなしたお役人が局長を、そ
れが出張で不可能だと知ると土方を指名したのだ。平隊士とは言っても何度もその手の護衛
をこなしてきたものを厳選してつけていたのに、真撰組の実力それ自体を否定されたようで
苦々しく思う。ただ、説明するのが面倒で、説明して断ったあとのごたごたが面倒で、土方
はおとなしく指示に従った。直接真撰組にかかわる予算をどうこう出来る幕吏に逆らったら
どうなるかは目に見えている。しかし、こんなこと早く終わらせて屯所に帰らなければ書類
がたまって大変なことになるのは分かりきっているのに、丸半日も貴重な時間を費やさなく
てはならないことを内心罵倒しながら、一応上司にあたる男を誘導した。さぼれると思って
ついてきた沖田は土方の後ろで堂々と欠伸をしていた。仕方ないとは思ったが、注意する気
にもなれなかった。
 予想通り、会談の前もその最中もつつがなく進み、幕吏はおどおどと会議室から出てきた。
脅迫状の一つや二つ届いてはいたが、もともとその中には際立って注意すべき組織の名前は
なかったのだ。赤ら顔でぶくぶくに肥えた幕吏は見た目の通りにきっと汚い金で私服を肥や
しているのだろう。その体に見合った大きさの胆をもっていればいいのに、目ばかりが小動
物のように怯えきっていて滑稽だった。終始退屈そうな表情を隠しもしない沖田が先導して、
土方がしんがりで廊下を歩いた。沖田があらかじめ設定した経路どおりに進むか多少心配は
あったものの、だらだらと廊下を進んでゆく。その間、幕吏からなにか妙な雰囲気、ねっと
りとした空気が自分に向けられているのをなんとなく、土方は感じた。
 なんなんだ、護衛はつつがなく終わったしそれに対する不満でもないようだ。それよりは
もっと、露骨で嘗め回すような気持ちの悪い何かだった。どうやら純粋な悪意ではないよう
だがその正体が分からなくて土方はただ困惑する。他人から何か敵意を向けられることは慣
れているからその手の感情を察するのには長けているが、そのほかの事に関しては正直、あ
まりよくわからない。ただ、敵意でなければ気にしなくても生きていける。そうやって今ま
で生きてきた。自分が余り感情が豊かな人間ではないことを土方は自覚していた。いつだっ
て、土方はシンプルな答えが好きだった。
「土方君」
 声をかけられてはっとする。気づけば迎えの車の前で、何か失態をしなかったかだけが気
になった。護衛が集中していなければ何か起きたときに対処できない。幸い何もなかったが、
次に繋げるためにも疑わしい状況を察知しなければならなかったのに。
「は」
「護衛、ご苦労だった。急なことですまんな。なんせ、儂ほどの大物になると敵が多くてな」
「は。お気遣い痛み入ります」
「うむ。それでだな、これから少し呑みに行かんか。このあと、料亭に予約を入れていてな。
なに、ワシの家のようないい店だ。他には人は呼んでおらんし、私的な誘いだと思ってもら
ってかまわんよ」
 どうだ。車に乗って安心したのか急に饒舌になった幕吏はそう言って、例のねっとりとし
た視線で土方を見た。さっきから感じていた妙な雰囲気の意味がそこでわかった。
 この男は、俺のことを女か何かだと思っているのか。俺が、女のようだと。
 土方は、さあと音を立てて感情の温度が急激に下がるのを感じた。俺は女じゃない。嘗め
回すような視線にぞっとする。かあと頭の芯だけが熱くて体中から一切の感情が消えるのが
分かった。
「申し訳ありません」
 土方がそこで立ち尽くしていると横から沖田の声が飛んできた。いつの間にそこに居たの
か土方の横で、険しい表情をして立っている。
「局長が不在のため、副長は実質局長代理の立場にあります。上の人間が不在とあっては隊
務に支障がでるため、せっかくのお誘いですが今回は辞退させていただきたく存じます」
「申し訳ありませんが、またの機会に」
 ドアの邪魔にならない位置まで下がって頭を下げる。幕吏は沖田の表情におされたのか曖
昧な言葉を残して車を出させた。車が完全に見えなくなるまで沖田はその表情を崩さなかっ
た。これが真撰組に悪い影響を及ぼさなければいいが、とふと思ったが、こんな些細なこと
でつぶされるほど脆弱な組織にした覚えはないと思い直して踵を返した。
「土方さん」
 後ろから沖田に声をかけられて振り向く。硬い声だった。
「何だ」
「あんなことくらいで動揺しているようじゃいけませんや。俺なんてあっちもこっちも誘わ
れて大忙しだってのに。あんまり顔には出ちゃいやせんでしたが俺にはバレバレですぜ。も
っとも、あのバカじゃ気づけないとは思いますけどねィ」
 さーて昼寝でもするか、と言い残して沖田は建物のほうへ戻っていった。仮にも上司をバ
カとは何だとか、誰かが聞いていたらどうするとか言わなくてはならないと思ったが、そう
言っていつものように怒鳴らなくてはならないと思ったが、結局何一つ言葉にならなかった。
土方も、残しておいた隊士に指示を出すために戻ったが、幕吏の残していった不快感はなか
なか消えなかった。寒くもないのに指先が白く冷たくなっていた。






0619
敬語がめちゃくちゃです。