「あなたは女性です」
 人払いをした部屋で、信じられない言葉を医者は吐いた。土方は静かに混乱しながら、
その言葉が自分の意識を上滑るのを感じた。


夢見る子宮 2


  タクシーの窓から見える景色は、数週間前と比べて大分秋の色味を帯びていた。後部
座席に背を預けて溜息をつく。こんなことしている場合じゃないのに。組を挙げての健康
診断から一週間が経った頃、土方は医者に呼び出された。なんでも、非常に個人的で重大
な問題が判明したのだという。それが何であったとしても今土方にとって重大な問題は1
週間後に迫った攘夷集団の検挙と果てのない書類整理の行方だった。例えば治る病気なら
けりがついた時点でさっさとなおしておわりだし、治らないものだとしても何とかうまく
付き合っていく方法はいくらでもあるだろう。それほど重要な問題ではない。仕事に支障
さえなければ。携帯で時間を確認して苛苛と煙草に火をつけて、もっと急いでくれという
言葉を、しかし寸前で土方は飲み込んだ。予約の時間にはまだ余裕がある。どんなに急い
で病院についたとしてもそこに医者がいなければ意味はないのだ。不意に、健康診断のと
きの大騒ぎを思い出して頭が痛くなった。いい大人が、普段切った張ったには慣れてるく
せに注射は嫌だと喚きだしたり、順番を抜かした抜かさないで喧嘩を始めたりと、小学生
ばりに騒がしかった。かく言う土方もそもそも病院自体が苦手で始終緊張してはいたのだ
けれど。それにしても乳離れしてないガキじゃないんだから、少しはおとなしくできない
ものか。最後の思考に重なるようにして病院玄関で止まったタクシーに料金を払い、診療
時間ぎりぎりなのに混んでいる待合室へ向かった。熱のせいか不安から泣き出した子供を
母親がなだめている。青白い顔をした青年を若い女が心配そうに見ている。彼らの横を通
り過ぎて受付で名前を告げると、すぐさま別の部屋に案内された。背中に視線が突き刺さ
っているような気がした。
 土方が案内されたのは広い診察室ではなく、フィルムを照らすための機械と椅子以外に
は殆ど何もないような小さな部屋だった。土方を呼びつけた医者は既にそこにいて、何か
の資料を読んでいた。医者は土方の想像より大分若い女だった。どうしていいか迷ってい
ると、医者は土方に椅子を勧めて案内してくれた看護婦に、外に出るように指示した。
「さて、土方さん。急にお呼び出ししてすみませんでした。この問題に関して、あなたに
告げるべきかどうかひどく、悩みました。ただ、今後のあなたの人生において重大な影響
を及ぼすと思い、こうやってお越しいただいたんです」
 医者は茶色い大判の封筒からフィルムをとりだして白いボードに貼り付けた。スイッチ
を入れるとそれが、誰かの体の断面図だということがわかった。
「先日、健康診断の一環でCTをとりましたね。これはあなたの体の断面図です。そして、
この部分」
 丁度、局部の上あたりにある影を指差した。
「この部分は未発達の子宮、卵巣などです」
 一旦言葉を切って、もう一枚のフィルムを別の封筒から取り出して同じようにボードに
貼り付けた。そこには沢山のバツが並んでいた。22対と1つの虫のようにも見える。
「これはあなたの血液から取り出した染色体です。……染色体はご存知ですか」
「テレビの知識程度ですが」
「染色体はあなたの体の中で細胞が分裂するときに現れる、遺伝情報がつまった大切なも
のです。ヒトの染色体は、46本あって、22組の対になる常染色体と、2本の性染色体
でできています。XXが女性、XYが男性ということはわかりますね」
「ああ、まあ」
「性別がわかるのは23番目の染色体です。この写真の23番目、Xが2本になっていま
すね。つまり、XX。あなたは女性です」
「……どういうことだ。何かの間違いじゃないんですか」
 医者の言った最後の言葉が頭の中をぐるぐる回っている。今こいつは俺のことを女だと
言ったのか。理解できなかった。理解したくなかった。理解したら終わりだと思った。土
方は静かに混乱しながらゆっくりと息をした。そうでもしなければ言葉が頭の中に入って
いかなかった。何度見ても写真の23番目の染色体はXの形をしていて、それは変わらな
かった。
「いえ、紛れもなく事実です。……人間の生殖輸管はウォルフ管というものとミュラー管
というものが一組になってできています。遺伝子の決定する性区別によってXYはウォル
フ管を、XXはミュラー管を発達させ、使わないほうは退化してしまいます。ですがごく
稀に、男性の遺伝子を持ちながら何らかの要因で女性の姿で生まれてきたり、逆にあなた
のように女性の遺伝子を持ちながら男性の姿で生まれてくる例があるのです。その場合…
…あなたの持っているウォルフ管の表現体、つまり男性器はいわばおかざりで性的には何
の働きも持ちません。……二次性徴は終えている年齢ですから今後急激に女性化すること
はないと思われますが、なにぶん症例が少ないもので、はっきりと断定はできません」
「しかし俺は……不能ではありませんが?」
「もちろん、性交には問題がない場合もあります。しかし、あなたの睾丸には精子を作る
能力がありません。つまり、射精はできても子供を作れないということです」
 土方は自分の染色体の写真を見ながら思った。あの幕吏は、自分が本当は女だから、そ
れが実は無意識のうちにどこかに現れていて、それを感じ取ったからあのようなことを言
ったのだろうか。そして、もしかしたら銀時も。あいつも自分が女だから、自分のそうい
う部分に惹かれたのだろうか。初めて銀時に好きだといわれたとき、あいつは何て言った
だろうか。それが思い出せなくて、余計に不安になる。時折、銀時の言動やちょっとした
仕草で土方は、自分が男である自信がなくなることがあった。もともと、土方の中にある
潜在的な不安を浮き彫りにされることがあった。それを、努めて無視してきたのに今にな
って根拠を持って明らかにされるなんて。
 しかしその葛藤は、土方の表面に現れることなく行われた。医者は、一向に顔色の変わ
らない土方を怪訝に思いながらも話を続けた。
「ですが、あなたは子供を産むことができます。子宮の機能に問題がないかどうかは詳し
く検査してみないとわかりませんが、女性ホルモンの投与をうけるとか、卵巣を取り出し
て十分培養してまた体に戻すとか……方法はいくらでもあります。あなたが望めば完全に
女性化して子供を産むことができるのです」
 一旦言葉を切って、医者はボードの電気を消した。一気に部屋の温度まで下がったよう
に感じられる。薄暗い明かりに土方の青白い顔だけが浮かび上がっているようで、ひどく
幻想的な光景にすら見えた。明かりの消えたボードを見たまま微動だにしない土方にじれ
て医者は話し始めた。
「驚かれたでしょう、土方さん。私も最初CTを見たときには驚きました。それで、一応
確認のために染色体を……」
「先生」
 土方は無表情に医者を見つめた。医者は貼り付けたような笑顔で土方を見返した。医者
が一体何を考えてそんな話をしたのかよくわからなかった。土方は男であり、これからも
男であり続けるべきである。真撰組のために。それを、話を聞いていれば要は、土方に女
になれと言っているようなものだ。
「何でしょう」
「この話は、どれくらいの方がご存知なんですか」
「ああ、それはご安心ください。あなたの立場を考慮して、検査は私が個人的に行いまし
た。事情を知っているのは私を含めて3人のみです」
 それがどうかしたのかという顔で医者は土方を見た。こいつは女だから、自分に女にな
れといっているのだろうか。そう考えて、医者が急に信用ならない人物のように思われた。
「うちの人間には」
「まだお知らせしていません」
 それを聞いて少なからず安心する。医者は土方の質問に困惑しているようだった。いく
ら医者が話をしようと、土方の中で結論は既に出ていた。早く仕事に戻りたかった。
「今後いきなり女になることはないんですね?」
「断定はできませんが、おそらくは。もしなるとしても漫画のように急激な変化は起きな
いでしょう」
「それでは、手術をしてください。手術をして、それらの器官を取り除きます」
「は?」
「子宮や卵巣は俺には必要のない器官です。必要がないなら無いほうがいい。先生、俺は
男です。女になるつもりはありません。それでは仕事があるので失礼します」
 手術をして、体だけでも完全な男になればこの訳のわからない不安は消えてなくなるの
だろうか。考えてみてもよくわからない。それでも今の状態よりはましになるだろう。そ
れだけでなく、自分が自分でいるためには真撰組が必要であり、そこにいるためには男で
い続ける必要があった。特別、そんな器官が自分に必要だと土方にはどうしても思えなか
った。立ち上がって、出口へ向かうと後ろで医者が立ち上がる気配がした。
「待ってください。そんな、何もここで結論を出す必要はないでしょう。あなたは社会的
にも、表現体も、男性です。しかし、遺伝的には紛れもなく女性なんです。あなたは認識
の変化を迫られているんですよ、土方さん」
「その必要はありません」
「あなたには恋人はいますか。そうではなくとも将来的に結婚するご予定はあるでしょう」
「俺は子供を作りません。子宮も卵巣も俺には必要ない」
「待って」
 ドアに手をかけたところで 腕を伸ばしてそこに引き止められた。振り返ると、必死な
顔をした医者がそこにいた。既に結論を出した土方よりも、医者のほうが苦悩しているよ
うな顔をしていた。
「あなたは何も悩まないのね。混乱するとか取り乱すとかそういうことはしないの?まる
で人形だわ。そんなにこれは悩む必要のないこと?それならあなたは何を考えるの?」
「結論は既に出ています。近々休暇がとれたらご連絡します。どうかこのことは内内に。
隊のほうにも知らせないでください」
「土方さん」
「では失礼します」
「土方さん!」
 ドアを開けると廊下のほうが幾分か明るいように感じた。病院の、同じこもった空気の
はずなのに、妙なすがすがしさがある。医者は廊下まで追いかけてはこないようで、背に
した扉はゆっくりと閉まっていった。今土方が考えるべきことは今後の仕事の段取りと、
土方がいないことで大いにさぼっているだろう隊士の士気を上げる方法だった。それによ
っていつ手術を受けられるかが決まってくる。様様なことにさっさとけりをつけたかった。
そういえば、帰りの方法は考えていなかった。それでも、かなり大きな病院だし玄関脇に
タクシーの停留所もあったから、1台くらいは止まっているだろう。タクシーでなくとも
バスでも帰れる。それよりまずは喫煙所に向かおうと進路を変えた。
「土方さん」
 後ろから声をかけられて一瞬、さっきの医者かと思ったが、どうにも聴きなれた声に嫌
な予感がする。振り返ると、予想と違わず沖田がそこに立っていた。心なしか顔色が悪く、
かたい顔をしている。土方が顔をしかめて見せても沖田はいつものふざけた笑みに変わる
ことはなかった。
「何でお前ここに居んだよ、仕事はどうした」
「お迎えでさぁ。あんたがいないから近藤さんはストーキングにいっちまうし、山崎はミ
ントンはじめるしで」
「どうせお前もサボりに来たんだろうが」
「土方さん」
 沖田は言いにくそうにちょっと俯いた。ああ、これは聞かれたな。土方の中に不安と安
堵が混ざったものが渦巻いて、無性に泣きたいような気分にさせられた。
「あんた、本当にあんな結論でいいんですかィ」
「……どうした、いつもみてぇにからかわねぇのか」
「俺だってTPOくらい弁えてまさァ。……本当は、何か、変な病気だったらからかって
やろうと思ってたんですけどねィ」
 それきり沖田は黙ってしまった。どうせならいつものように返されたほうがどれだけま
しだっただろうと思ったが、ネタにされてもきっと傷ついただろうとも思う。結局土方は
どうしたらいいか分からなくて、無表情に沖田を見ることしかできなかった。
「近藤さんには言うなよ。余計な心配するから」
 沖田はばっと顔を上げて土方を見返した。さっきの医者と同じように、沖田のほうが泣
きそうな顔をしていた。なんで、という形に唇が動いたが、言葉は声になることはなかっ
た。どうして、皆ことごとく、まるで自分のことのように傷ついた顔をするのか、土方に
はよくわからなかった。既に診療時間は終わっていて、待合室には殆ど人影がなかった。



  続>>
 
 060622 一番書きたいシーンが終わってしまった……。A−A´ってご存知ですか。