増大する青、そして


 
 部活が終わってあたりが暗くなり始めた帰り道、汗を吸った袴が重くて仕方がな
くて正直その辺に捨てて帰りたいがそれで誰かが洗ってくれる訳もなく諦めて棒の
ような足を引きずりながら帰る。沖田のやつが思い切り打ち込みやがったせいで体
中が痛い。明日は絶対シメてやると決心しながらあーと意味のない声を出してみる
(時々これがやりたくなる)。元は男子校だったせいで男子の割合の多い下校風景
は遥かかなただ。ずいぶんと遅くなってしまった。俺は男だし遅くなっても変な心
配はかけないだろうが腹が減って仕方がないしまた雨が降り出しても困る。初夏の
風はごうごう吹いて次から次へと黒雲を吹き飛ばしては運んでくる。ここのところ
雨の降らない日はないといっていい。おかげで川は大分増水して茶色く濁った水が
音を立てて渦巻いていた。学校を出る直前まで降っていた雨のせいで舗装してない
道は歩くたびにぐにちゃぐにちゃと歪むので学校指定のスニーカーが黒く汚れてし
まうがそれが少し面白かった。靴裏にべったりついた重い泥を飛ばすと水溜りの中
に入って波紋を作る。湿った土と青臭い草の臭いがあたりに漂っている。雨自体は
鬱陶しいが雨上がりの土手は嫌いじゃない。今日の晩飯はなんだろうか。意味もな
く傘で水溜りをかき回しながら歩いていると水門のあたりに見慣れた白髪もとい銀
髪が見えた。わずか残った水の浸食を受けていないうちっぱなしのコンクリートに
座り込んで何かをしている。何をしているかなんて知っている。またいつもみたい
にチュッパをくわえながら下手くそなギターを弾いているんだろう。湿気のせいで
くるくるの天パが湿気のせいで三割増だ。水門に近づくごとに調子っぱずれの音が
大きくなる。剣道部をやめてから銀時はギターで食っていくとか訳のわからないこ
とを言い出して下手くそのくせにいつも同じ場所で何かの曲を弾いていた。たん、
たららら、たんたんたん、たららんたん、あ、とちった、そしてまた始めから。す
ぐ近くの階段から降りて銀時のそばに行く。こいつのこの下手くそなギターを辛抱
強く聞けるのは俺くらいじゃないかと思う。よう、と声をかけると銀時は演奏を止
めてちょっと顔を上げるが目が合ってしまったのが気まずいのかすぐに顔を逸らし
た。荷物を降ろしてすぐ隣の乾いたところに座る。気にすんな、続き弾けよ、言う
とのたのたとギターを構えなおしてまた始めから弾き始める。雲の隙間から最後の
西日が差し込んで銀髪が柔らかく光るのを綺麗だと思った。
「なあ、何弾いてんの」
「夢の島。知ってる?まあ知らねぇだろうけど」
「知らねぇ。誰の曲」
「Plastic Tree」
「わかんね……」
「だと思ったよ」
「でも、いい曲だな。通して弾けよ。止まってもいいから」
 銀時はしぶしぶといった様子で弾き始めた。つっかえたりもどったり全くなっち
ゃいないがメロディを歌いながらどんどん進んでいく。いい曲だ。歌詞は俺が悩ん
だこともないような孤独をうたっていた。だって居場所ならここにある。家に帰れ
ば家族も居る。銀時だって親は居ないが友達は多いし居場所がないなんて多分感じ
ていないだろう。でも何となく共感できるのは俺の兄貴がこんな感じだからだろう。
最後にたん、たん、たららんと鳴らして曲が終わったらしく銀時は脱力して寝転が
った。あーとさっき俺がしたみたいな声を出して溜息をついた。眉間に皺がよって
いる。終わってしまった飴の棒をぷっと吐き出してどこかに飛ばした。どんな肺活
量だよこいつ。
「駄目だ、むずかしい」
「へぇ」
「へぇってお前ね」
「俺ギター弾けねぇし、わかんねぇよ」
 あらそう、そういったきり沈黙が続く。川の音と虫の声がするだけで散歩する人
影もない。こんな場所で男二人が黙りこくって座っているのも気持ち悪いとも思っ
たがこいつのそばに居るのが心地よかった。太陽はもう沈んでしまったらしく東の
空から闇が上っている。腹が減ったな、それに軽く拭いただけの汗が気持ち悪い。
それでもまだ一人で帰る気がしなかった。
「あの、さ」
 銀時が口を開く。なんだよと促しながら隣を見ると銀時は言いにくそうに俯いて
いた。
「お兄さん、どう」
 またか、と思う。時折思い出したように銀時は俺の兄貴の事を苦しそうに訊いて
きた。銀時と兄貴の間に何があったかは知らないが(何もないかもしれないが)そ
れを訊かれるのが一番苦しかった。少しだけ頭の血が冷めて心臓が早くなる。苦し
そうな銀時を見るのが嫌なのかもしれない。
「どうもこうも、普通だよ」
「そう」
「最近、前よりも笑ってくれるようになった、かな」
「そ、か」
 それきり銀時は何も言わなくなった。何となく居心地が悪くなってじゃあ俺帰る
わと言い残して水門から離れた。あいかわらず人影がない。雲の切れ間では星が光
っている。しばらく離れて振り返ると銀時がギターをしまっているのが見えた。水
たまりで遊ぶのはやめて走って家に帰った。