増大する青、そして 7 機材を搬入してアンプをえっちらおっちら運んでセッティング。お立ち台を作って マイクを置いてドラムを置いてそっちはドラマーが音の調整。裏ではバンドごとの演 出用のフラッグを順にバックにつけている。ただの何もないステージが次第にライブ ステージになっていく様は見ものだ。フロアにも柵が取りつけられてダンスフロアや バーではなくすっかりライブ仕様になっている。いくつもあるスイッチを動かしなが らマイクテスト、スピーカーの調整、照明の確認などが次々とはじまってゆく。今日 の音響は主催バンドが呼んだらしい人が担当していた。専門学校生だそうでいつもよ り本格的にチェックしている。たぁー、たぁー、とぅーとぅーとぅー。ちっ。ぽんっ。 いつ見ても自分の耳だけで調整できてしまう彼らはやはりすごいと思う。俺みたいな ちゃらんぽらんには絶対にできない芸当だ。つくづく、ライブはバンドだけいればい いという訳ではないと実感する瞬間だ。機材の搬入が終わってしまうとやることがな い。俺たちの番になるまでかなりあるしとりあえず暇になった俺は柵によりかかって オープニングバンドのリハを見物する。薄く化粧した若い男ばかりのメンバーがぞろ ぞろ入ってくる。準ビジュアル系といったところか。後ろを振り返ると階段のところ にも何人か同じように見物してる奴らがいた。今日のイベントの出演者は7組でその うち3バンドとは初顔合わせだ。彼らはそのうちのひとつで俺は名前こそ知っていた が演奏は初めて聴く。インディのチャートじゃ結構上のほうに来ているがギターとベ ースはうまいのにボーカルとドラムが下手だ。多分ウリは曲でも演奏でもなく顔だ。 それが悪いとは言わないが長続きはしないだろう。リハだからということで手を抜い てるのかもしれないがそれでリハでこの程度じゃ本番もきっと駄目だ。俺も人のこと 言えた義理じゃないけど。あっという間に聞くに堪えない3曲を半分ずつ演奏してさ っさと次のバンドに交代した。リハは1バンド10分ずつ。俺たちは5番目だからま だあと40分くらいある。開場までは2時間。今日はまともに準備もリハも進んでい るからタイムテーブル通りやれるだろう。 それにしても集合時間を1時間過ぎているのにドラマーはまだ来ていない(ふざけ やがって畜生)。人が珍しく時間通りに来たと思ったらこれだ。リハまでには来れた らいいがこの分ではそれも危ない。そのままぼーっとしてるとうちのちっさいボーカ ル(内緒ね)が呼びに来たので楽屋のほうへ向かった。衣装なんて物はあってないよ うなものだが今より多少ましな新しい服に着替える必要はあったしギターもいじって おかないと指が動かない。ボーカルは必要最低限以外は全くしゃべっていないが不穏 な笑みを浮かべるあたりかなりキレてることが伺える。この調子では終わったらリン チだな。下手したらこっちまでとばっちりだ。そういう予感は嫌というほど当たるか ら巻き込まれないうちにずらかろうと決意する。あの黒もじゃと同じ扱いを受けるの はごめんだ。 楽屋までの廊下は細く暗い。おまけに共同楽屋は狭苦しい。趣味でやってる奴はま ずそこでびびって、一旗あげようとしてるやつは早くそこから抜け出そうともがく。 汗と涙といがみあいの入り混じった空気が壁中にしみ込んでさらに重苦しい空気をか もし出しているような気がする。すべては向上心と挫折の繰り返しだ。誰もが欲望む き出しでがむしゃらに突き進んでいる。諦めた奴から消えてゆく、理屈は簡単な世界 だ。毎度毎度焦燥感ばかりが掻き立てられて結局何一つ変われないんだけど。 向こうから見慣れない顔がやってくる。そういえばまだ出演者にあいさつしてなか ったが多分リハが終わってからでも間に合うだろう。黒い頭はこれからリハなのか楽 器を持っている。狭い廊下ではすれ違うのがやっとだ。薄暗い明かりで互いの顔はお ぼろにしか見えない。すれ違うときにちらっと顔を見るがやっぱり口元くらいしかは っきりと見えない。ただその口元にちょっと見覚えがあった。バイト先でもライブで も専門でもないまだ田舎にいたころだ。俺はいつもその口元ばかり掠め見ていた。ま さかという気持ちが先にたつ。そんなのだって当たり前だろう。こっちに来るとは言 っていた。でもどれだけの人間が東京に住んでいるんだ。それに本当に来ているとは 限らない。人違いだったらどうする。偶然なんてそう簡単に起きるものじゃない。あ いつは誰なんだ。誰か、教えてくれ。 いてもたってもいられなくてステージに向かう。後ろで呼び止める声が聞こえるが そんなもん無視だ。楽器や小道具の密集している廊下を謝りながら縫うように走る。 途中遅れてきたドラマーが俺を見つけて笑いかけてくるが無性に腹が立ってその頭を 思い切りはたいてやった。わざとらしい訛りで文句を言ってきたがそれも無視。たど り着いたステージではリハが始まっていた。 ステージ脇の柱に寄りかかると上手側にスポットライトに照らされている彼の姿が 見える。間違いない。あいつだ。少し身長が伸びたかもしれない。すっかり少年らし い丸みはなくなって少し痩せ気味だが年相応の体つきをしている。きつくつりあがっ た目元は相変わらずでその目は弦を押さえる手元に集中している。悔しいが俺よりう まい。他のメンバーと打ち合わせをしているその姿から目が離せなかった。 あっという間に10分間は終わってメンバーがこちらに捌けてくる。俺の後ろには 次のバンドが控えていて邪魔にならないように隅に避けた。少しずつ彼が近づいてく る。相変わらずメンバーと何か話していて俺には気づかない。忘れられているかもし れないという危惧に心臓が喘ぐ。それでも、口を開いた。緊張。声が出ない。彼とす れ違う。彼は俺がここにいることに気づかなかった。暗がりだったからかもしれない。 行ってしまう。どうする。やっぱり他人の空似だったら。いいや、言っちまえ。 「土方?」 彼は振り返った。俺を認めて目が驚愕に見開かれる。一瞬後、彼は、笑った。それ は記憶の中の彼と重なって俺の中に懐かしさを生み出した。 「銀時か?」 安堵に張り詰めていた息が漏れる。懐かしい声。やっぱり、土方だった。 「何でお前ここにいるんだよ」 「何でって、出るからに決まってんだろ。お前も?」 「あ、ああ。お前らの2つ後」 訊いてはみたものの土方がここにいる以上大学には受かったのだろうしリハをして いたのだからイベントに出るからに決まっている。俺は何を訊きたかったのか分から なくなっていた。土方はメンバーに呼ばれて楽屋に戻ろうとしていた。さっき会わな かったから多分もう一つのほうの共同楽屋だろう。土方の後ろにはサングラスを割ら れた黒もじゃが俺を呼びに来るのが見えた。ぎんときどこいっちゅう!たかすぎがこ わいきにはよもどり。纏わりついてくる黒もじゃがうざい。それを見てじゃあなと言 い残して土方は行ってしまった。その背中は記憶にある彼よりも幾分か大きくなって いる。お互い成長しているのだから当たり前だ。たったの4年なのに。咄嗟に、黒も じゃを突き飛ばして思わず腕をつかむ。 「なんだ」 「終わったら、呑みにいかねぇ?」 土方は、別にいいけど、それ終わってからでもよくね?と苦笑した。そういえばそ うだ。これから同じイベントに出るのだから。焦って損した。気づいてから顔が熱く なる。手を離すと土方はじゃあよろしくなと手を振って今度こそ楽屋に戻って行った。 これで土方との糸は繋げた。ほっとしたが、土方の後ろから鬼の形相をしたボーカル がのぞいていて浮ついた気持ちはすぐさま吹っ飛んでしまった。 * 約束どおりイベント後、互いのバンドでの反省会という名の打ち上げをふけて二人 で落ち合った。おれは近いしギターがあったから徒歩だし土方はそもそも電車で来て いたので気兼ねなく呑める。どちらも金なんてないからハウスから少し離れて安いだ けが売りの居酒屋にはいった。食い物はつまみになるものを適当に頼んだだけで後は 殆ど酒だ。しばらくメニューを見ているとやる気のない声が頭の上から降ってきた。 あのぉーごちゅうもんおきまりですかぁー。適当に頼むと彼女はだらだらと歩いて厨 房に戻っていった。同じようにその後姿を見ていたのに気づいて顔を見合わせて笑う。 「さっきの女、変なしゃべり方だったな」 土方はくつくつ笑った。その仕草一つずつに心臓がことりと音を立てる。 ライブ後でハイになっているのか土方はよく笑った。俺もつられるように笑ってよ く飲んだ。話題は今のバンドやバイトの愚痴やら夢やらいろいろだった。バンド仲間 は1人だけ同じ大学の学生であとはこっちで知り合ったんだ、みんなメジャーに行く とか言ってんだぜ、まだ結成半年なのにな。そういって土方は笑った。まだ夢に絶望 していない笑いだと思った。今、土方は東京に住んでいるという。志望の国公4大に 受かって一人で下宿をしているそうだ。家族はどうしたとか、高校の仲間はどうした とか、そういった過去につながる話題はどちらも意図的にしゃべらなかった。 適当に飲んでしゃべっているうちに土方は終電を逃してしまって、お互い飲み足り ないし金もないしで俺の家で呑みなおすことになった。コンビニで適当な酒とつまみ を買って、まだ人通りの多い道を歩く。街頭に照らされて夜遊び帰りの女子高生や酔 ったオヤジたちがふらついている。アルコールで焦点のずれた視界の中で土方だけが 浮かび上がって見えた。青白い蛍光灯に照らされて顔色だけが異様に白い。出来すぎ た大理石の彫刻のように整って、怖いくらい美しい顔をしているが唇だけが赤く浮き 上がって彼が生きていることを示している。その肌はきっと触れれば驚くほど冷たい のだろう。触れたい、と思う。はっきりと、触れたいと思う。彼が幻なのか現実なの か冷たい石像なのか、触れて確かめてみたい。そして、彼を手に入れたい。 酔っているのだ。俺は酔っているからこんなことを考える。 そう結論して先を行く土方に右に曲がるよう指図した。 階段を上がってすぐ脇が俺の部屋だ。酔っているせいかなかなか部屋の鍵が見つか らなくて二人して爆笑。全く酔っ払いなんてろくなもんじゃない。 「きったねー部屋」 「うるせぇ」 開口一番土方が発した言葉はこれだった。別にいいけどね、分かってるから。くつ を脱いで上着はその辺に適当に引っ掛けて座る。土方も同じように適当に座った。友 達の部屋ならいくらでも行ったことがあるだろうに珍しそうに壁を眺めている。買っ てきたウィスキーと氷を適当なカップに注いで渡すと、まずい酒だといいながらも既 に半分近くを開けていた。俺もそれに苦笑しながら口をつけたがコンビニの安酒はや っぱり不味かった。ちびちびやりながらたわいもない話をする。核心に触れずに話を 続けるのは困難で、しばらくすると沈黙が続いた。つと土方の後ろに目をやると汚れ たカーペットが視界の端に映った。本当に汚い。土方は俺よりも上等な服を着ている のにそれが埃で汚れるのが惜しくもあったがこいつもおれみたいに汚れればいいとも 思った。土方はいつだって純潔で純粋だった。俺がどれだけどろどろした思いを抱え ているかも知らずに近づいては離れて俺を傷つけて。昔も、今だってそうだ。それで も結局力ずくで手に入れられるほど度胸はなくて、どうしようもなくなった俺はいつ だって卑怯な手段に出るのだ。汚して貶めて俺と同じ場所まで来るように。その手段 も今は分かっていた。 「お兄さん、どうしてる」 できるだけ無神経に聞こえるように晋介さんの事を訊いた。思ったとおり土方は傷 ついたような目をして視線を落とした。あの事故の後、結局彼がどうなったか気にな ってはいたのだが、それよりも今の俺には土方を傷つけて見せることが重要だった。 昔のように無自覚に逃げに走ってるわけじゃない。土方はそっと口を開いた。 「元気だよ。時々会いに行くと笑ってくれる」 「そうか」 「また、会いに来てやってくれよ」 とても平坦な声だった。それきり彼は一言も言わず氷の解けたカップをいじってい るだけだった。晋介さんが無事だったことに少なからずほっとする。それで体は平気 だったの、そう言おうとしたとき急に土方が顔を上げて、うそだ、と言ったから、言 葉は音になる前に消えた。 「どういうこと?」 「嘘、なんだ。兄さんさ、あの事故のあった後、ずっと眠ってるんだ」 確かに頭は打ったけど、本当なら何年も眠るなんてことはないって医者は言ってた。 そこまで障害は重くはなかった。でも実際4年の間兄さんはずっと眠ってる。出来る 限りの治療はしたさ、でも、だめなんだよ。 土方は笑おうとしていたが、最後のほうは声が震えてしまってうまくいっていなか った。俺は自分で土方を傷つけたくせにひどく後悔していた。こんな風にしたかった わけじゃない。俺は、ただ、土方の本音が見たかっただけなのに。 土方はぼたぼたと涙をこぼして声を出さずに泣いていた。何のためらいもなく手を 伸ばしてその涙をぬぐった。昔、出来なかったことをしようとしていた。 額にかかる髪をよけてそっと口づける。瞼に、鼻に、そして、唇に。その間ずっと 戸惑った表情をしていた。それからほほを撫でると土方は静かに目を閉じた。それで もとめどなく流れる涙がとても綺麗だと思った。 ごめん、という意味を込めて胸に頭を押し付けるように抱いてやると土方は静かに 泣いていた。そのまま力を強くするとすがるような弱弱しい力で背中に手を回した。 そのまま半刻もじっとしていただろうか。外はまだ暗かったが新聞屋のバイクの音 が聞こえてきた。もう朝だ。ずっと抱きしめていた腕を離すと土方はゆっくりと離れ ていった。 水、買いに行こう。 最初に言ったのはそれだった。上着を持ってそろって外に出る。夕べ酒を買ったコ ンビニについたころには東の空が明るくなり始めていた。店内には眠そうな店員以外 は誰もいなかった。歩きながら水を飲む。静かな朝の空気がまだアルコールの抜け切 らない体に気持ちいい。多分土方は俺を友達程度にしか思っていない。さっきのだっ て泣きはじめた彼を慰めていたと、それで水に流そうとしているのだ。 違うのに。違う、のに。 お前だって分かってるだろ、なのになんでそんな、なんでもなかったように振舞う んだ。 別れ際、土方は今度一緒に晋介さんに会いに行こうと言って彼の携帯番号を渡して くれた。じゃあ、金曜日に改札で。どこかで聞いた約束が今度は俺たちの間で交わさ れた。同じくらい深刻なのにあのころよりは気安いやり取り。それが4年間で俺達が 得た鈍感さだと思った。 ← → |